ブレイキング(Breaking)という言葉があります。日本語では鞍付(くらつけ)という言葉がありますが、他にも色々な段階での言葉があるのでしょうが、私は知りません。全てを含んで初期調教でいいのでしょうか?ブレイキング(初期調教)は、人に慣れていない馬(ふつうは1−2歳の若馬や野生馬など)を人に慣らし、鞍をのせられることに慣らし、人が乗ることに慣らす、ということですね。
辞書で調べると 『動物を慣らす』という意味がありますが、『・・・をこわす、(堅いものを)砕く、破る』という意味もあります。文字通り『砕く』というような、馬を力ずくで抑え込むというやり方が過去から現在まで全ての地域で行なわれてきた(いる)というわけではないでしょうが、そーゆー方法があった(ある)というのも事実のようです。
日本での初期調教が、かつてどのように行なわれてきたのか、最近はどーなのか知りませんが、ここ10年(?)ほどの間でしょうか、ブレイキングという考え方に基づく物理的・精神的に屈服させるという調教から、馬の本能・群の中での行動のし方を利用した、屈服させるという概念をくつがえす調教方法が外国(米国)から紹介されています。
その1つで、たぶん最初に日本に紹介されたのが米国人のモンティ・ロバーツによる調教方法かもしれません。彼の自伝とも言える『The Man Who Listens To Horses』が出版されたのが1996年で、
翻訳版『馬と話す男』も出版されています。日本でも上演された『The Horse Whisperer』(邦題:モンタナの風に抱かれて)はモンティ・ロバーツがモデルとも言われていますが、映画に関してモンティは関わっていないようですね。モンティーの調教方法は日本でも数年前にデモンストレーションが行われています。
映画『The Horse Whisperer』について (2005/7 記)
乗馬への道(Vol.20 2004年7月)に『”馬に囁く”伝説の調教師 バック・ブラナマンとの出会い』という記事があったので、ほんの一部ご紹介します。(Buck Brannaman)
映画『モンタナの風に抱かれて』はイギリス人作家ニコラス・エヴァンスの処女作。1995年に出版され、すぐさま36カ国語に翻訳され、16カ国でベストセラーの記録を作った本だ。
エヴァンスはある装蹄師から「ホース・ウィスパラー」の話を聞いて非常に興味をもち、アメリカ西部にホース・ウィスパラーを探しに来た。そしてワイオミング州で彼は心を引き付ける調教師と出会った。その調教師がバック・ブラナマンである。映画の監督兼主役を演じたロバート・レッドフォードはブラナマンを彼のダブル役に起用したり、テクニカル・アドバイザーとして馬の調教法を学んだ。
司馬注:Buck BurannamanのURLについて、あるMLで聞いたところ、
司馬注:Harry WhitneyもすばらしいということですのでURLをお知らせします。
コミュニケーションの新しい流れについて(英国 2000年頃) (2005/7 記)
ヨーロッパにおいてもブレーキング(Breaking)という言葉や従来のやり方について異議を唱える流れもあるようです。ヨーロッパ(英国)から見たウエスタンホースマンシップやナチュラル・ホースマンシップなど、調教やその基本であるコミュニケーションにおける新しい流れについて書かれています。そのなかに登場する名前を紹介します。
その先駆者と言えるのはTom Dorranceであろう。彼の著作「True Unity」は1987年に出版。Tomの弟子の1人であるRay Huntは「Think Harmony With Horses」を書いている。John Lyons(著書はLyons on Horses)、Pat Parelli(著書はNatural-Horse-Man-Ship)については著作がある割に知られていないようだ。
英国生まれのBob MayhewはLinda Tellington-Jones' TTEAM を英国に紹介した。しかし、もっとも大きなインパクトを与えたのはMonty Robertsである。Montyの指導を受けたRichard Maxwellも名を成している。
オーストラリアのナチュラルホースマン(2007/5 記)
2004年:ケン・フォ-クナ-、2006年:エリック・ゴッドワードが来日し講習会を開いた。
2003年に乗馬ライフ誌で、ナチュラル・ホース・マン・シップ(PNH)が紹介されました。ホースマンシップ(horsemanship)という言葉がありますが、辞書によると単純に『馬術』となってしまいますが、そーゆー技術・技能・その腕前、という狭いものでなく『人・馬・その係わり』の全てをホースマンシップと言ったほうがよさようです。PNHによる調教方法を体系化したのが米国人のパット・パレリで、彼はホースマンシップと言わず、あえてホース・マンとホースとマンを区切って、ホース・マン・シップと言っています。
彼は『馬・人・その係わりが発生したとき、人は半ば馬となり馬は半ば人となるのです。』と言っています。モンティ同様、屈服させるという概念をなくし『ホース(馬)・マン(人)』の関係を深く研究することによって体系化したものです。氏の著作『Natural Horse Man Ship』は、まだ翻訳は出ていません。
★パイオニアファーム 【TEL:0144−58−3116】
2002年、北海道早来町、パイオニアファームの佐久間・エイドリアン氏がPNHのインストラクターを招聘し、デモンストレーションを行いました。
★D-Jランチ(ディー・バー・ジェイ・ランチ)
北海道帯広郊外。ウエスタンスタイルの牧場ですが、ナチュラルホースマンシップをベースとした、障害馬や競走馬のトレーニングも行っております。ランチ・オーナーは持田さん。
D-Jランチについては、乗馬への道に紹介記事があります。
Vol.20に『D-J ホースフェスティバル』 Vol.21に『乗馬クラブ探訪』 執筆者は瀬波さん。
どの国でも、長年うまと接している(自称も含めて...(^^;)ホースマンはたくさんいるでしょう。そーゆーホースマンのなかには『あー、そーゆーことはあるな、そんなに新しいことでもないな〜。』という方もいるかもしれません。個々のことがらについてはそーゆーこともむろんあるでしょう。個人の経験は貴重なものですが、長く深く研究を続け体系化するということは、馬に関わっていれば誰にでもできるということではないと思います。
私は「単に馬に乗ること」を始めて10年ちょっとのサンデーライダーですので、多くのことが新鮮で『なるほど〜・そーゆーものかー。』と感心することしきりです。
さて私のように都市部に住み、いわゆる乗馬クラブで週末乗馬を楽しむサンデーライダーとはちょっと違う、カントリーライフというかスローライフというか、個人または当研究会のように仲間で馬を飼うという人達も徐々に増えてきているようです。そーゆー人達は、生まれた子馬の、あるいは大人の馬の調教を自ら行なうということもあるでしょう。そーゆー人達にとって、自分たちで経験していくことはむろん大切ですが、経験するには時間がかかります、経験していないこと、経験できないかもしれないこと、今すぐ必要なこともあるでしょう。自分たちが経験していく過程で得られる断片的な知識を補うものが必要だと思います。馬と関る人にとっては当たり前と言われていることでも知らないことはあるでしょう。(分っている人には)当たり前の原則的なことを含めて一貫した体系化されたハウ・ツーが必要だと思います。モンティにしろパレリにしろ、長く深い観察や経験による体系化された具体的な知識(ハウ・ツー)を与えてくれるのではないでしょうか。
体系(化)という言葉がでてきました。
ホースマンシップにおける鍵はコミュニケーションにあると言います。
馬の心をつかむことが第一であると言います。ということは、馬との
よいコミュニケーションをとおして馬の心をつかむ『信頼、尊敬(respect)を得る』ということですね。その信頼、尊敬(respect)を得るシステム(体系化された方法)
をナチュラル・ホース・マン・シップとして紹介しているわけです。僅かな情報ですが、何か役に立てば、きっかけの一つになればということで、ご紹介しました。
【パレリがホースマン・ホースマンシップについてこう言っています】
冒頭、この本は「馬の調教についての本」ではなく「人の調教についての本」である。私が「ナチュラル・ホース・マン・シップ」と呼んでいる哲学(原理)について語ろうとするものである。「ナチュラル・ホースマンシップ」自体は古くからあり、私が発明したわけではないが、私は大変興味を持っている。そして再び世に出てきた(パレリが世に出した)のである。2000年以上前の高名な馬術家の1人であるクセノフォンは「ホースマンシップにおける鍵はコミュニケーションにある」と言っている。
あなたとあなたの馬がパートナーとして同じ道を進もうとするなら、コミュニケーションのし方を学ぶことは必須のことである。
この本の大きな目的は、あなたがあなたの馬とどのようにコミュニケーションしたらいいかを学ぶ手助けをするということである。
多くの人は「月並み」というレベルにしか到達せず、またそのことに気付いてさえもいないものである。
ある人が試合に出てブルーリボン(1等賞)を取ったが、自分の馬を馬運車に乗せるのに苦労している。
これなどは「月並み」なレベルであることを甘受しているよい例である。
多くの人が、いいホースマンになろうというのでなく、上手に馬に乗れる人(Good Rider)になるために多くのエネルギーを費やしている。多くの人が「どーやって勝つか」という方法を探しているが、ほんとうに必要なことは「元々存在する基本的なこと」なのであり、この本では、馬と人のパートナーシップのための「基本的なこと」について述べる。
ナチュラル・ホース・マン・シップには「6つの鍵」と「人馬にとっての8つの責任」があり、まずこれらがどーゆーものか理解することが肝心であり、これらを掴めば他のことは自ずとついてくる。
「元々存在する基本的なこと=Natural Foundation」
【Ukotanが軽井沢(浅間)大会の報告のなかで言っています】
・練習していていつも思うのですが、道産子系の馬は、長時間騎乗していると人間に
・支配されることに飽きるようです。ほんの1分ほどですが(あるいはもっと短いかも)、
・まるで背中に何も乗せないで、放牧されているときのように振る舞いたがる。
・乗ってる方はビックリするやら怖いやらで血圧急上昇ですが、慣れてくると「きたか〜」
・と思います。きっと津別の山の中で、こんな風に自由に競争しているんだろうと。
・それがこの子たちのスタミナの源なんだろうなぁ。
Ukotanは『馬のこんな行動が 「自然なものなんだな〜」と思い、しばし遊ばせましょう。』
というスタンスなんですね。Ukotanの乗馬歴はまだ4年ですが、他人(ひと)に言われなくとも、自然に馬の気持ち感じ取っている、感性豊かなのですね。技能の上達や知識の増加というのは時間の問題であって誰でも技能は上達し知識も増えるでしょう。しかし豊かな感性(よいホース・マン・シップの持ち主は、よいマン・マン・シップの持ち主でもあるような)を育てるということは単純に時間が解決してくれることではないような。言われて即できるものではないでしょうが、そーありたいものだと思います。Ukotanも ナチュラル・ホース・ウーマン・シップ への道を歩んでいるのですね。Parelli も同じことを言っています。以下、その概略。
ナチュラルであるためには、馬は馬であるということ、それを受け入れることです。
世界中出かけましたが、多くの水泳プールには『No Horseplay(さわぐな)』という看板が目につきます。わたしのランチには『ここではHorseplayあり(Horseplay done around here)』という看板を掲げています。
馬は遊ぶのが好きなのです。今あなたが乗っている馬が(羽目を外して)遊んだとしても、それは馬の自然な行動として受け入れねばなりません。多くの人は、馬がちょっとハメを外して、遊ぼうとすると、とたんに態度が変わります。
手綱をグイッと引っ張り、馬が遊ぶのを止めさせようとします。馬が自分を表すのを、遊ぶのを、許してあげなさい。
結局、人は、馬に何かさせるのでなく、馬と一緒に遊ぶ(一緒に楽しむ)のです。その為に何かする(知識を得、経験し、よいホースマンとなるべく努めねばならない)のは人です。
司馬記
ここいらあたり、程度というか、その内容を考える必要はあると思います。背中に人が乗っていることをふと忘れてしまうということはあるのでしょうね。それはその人とその馬との関係がどーゆーものか、その人がその馬に存在感を与えているか、ということもあると思います。馬は常に人を意識し人も馬を意識していなければならないのでしょうが、馬側に立って言えば、ちょっと息抜きをしたい時もあるでしょうし、生理的に身体を動かしたいとか、そーゆーことはあるでしょうね。たしかに、人はリーダーであるべきで常に馬をコントロ−ル下に置いておかねばならないと思うあまり、融通のきかない態度をとってしまうこともありそうに思いますが、どーでしょうか?
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【感性・想像力】
感性という言葉がでてきました。
想像力についてパレリも語っています。
ナチュラル・ホース・マン・シップを実践するにあたり6つの鍵と8つの原則があります。6つの鍵とは、(人が)事に臨む態度や心構え、知識、道具、技術(技能)、時間(要する時間やタイミング)、そして想像力です。パレリは、その鍵・原則に沿った体系(システム)を構築したわけですが、この6つの鍵の中で最もその実際が分かりにくいのが、(人が)事に臨む態度や心構え(Attitude)と想像力(Imagination)であると言っています。
ナチュラル・ホース・マン・シップを実践するにあたり、少なくとも初期の段階においては、(人が)事に臨む態度や心構え(Attitude)を正しくするというのは難しいものです。しかし、ひとたび「そこを十分に理解(会得・体得)すれば」自ずと、知識、道具、技術(技能)の実際が理解でき、時間(要する時間やタイミング)に結びついていきます。人にとって最も難しいのは「想像力を豊かにし、実際にそれを用いること」です。
ナチュラル・ホース・マン・シップを実践しようとする多くの人を見てきましたが、この想像力の部分でつまずく人は多いのです。この部分には「やり方」が示されていません。人が(馬と共に=play with their horses)自ら為さねばならないからです。馬と共にあるとき(馬に、馬と共に、何事かを為すとき)人は想像力を豊かにし、実際にそれを用いることができなければなりません。子供の頃に持っていた想像力(感性)を素直に受け入れる心を持ち続けることができるといいのですが。
想像力(感性)をはたらかせるということは、あらゆる状況に柔軟に対応するということです。
このことは、ナチュラル・ホース・マン・シップにおいて(も)難しい部分です。ナチュラル・ホース・マン・シップには「こーしなくてはならないというルール」はありません。目標と(目標に向かうための)原則があるだけで、それに沿って状況に柔軟に対応するということです。
なんと馬方は馬になった!
と言っても、あながち『馬方もついにおかしくなった?(^^;』というわけではないようです。
パット・パレリも『そのこと』を言っています。
以下、その概略。
「ホース・マン・シップ」=「馬・人・その係わり」ということになります。「馬・人・その係わり」が発生したとき、人は半ば馬となり馬は半ば人となる(べきな)のです。馬のリーダーであるべき人の為すことは、被捕食動物である馬の持って生まれた臆病な性質を抑え、如何に勇気ある行動ができるようにさせるかということであります。
つまり、「馬・人・その係わり」
が本物になるためには、馬は外部の環境や状況に衝動的に反応するのでなく、「馬(自分)・人(騎手)」関係を優先したいと思うようでなくてはなりません。馬はより勇敢にならなくてはなりません。たとえ身の危険を感じるような状況であってもパニックを起さず、自らの意思で踏み止まろうとするようでなくてはなりません。
そして、人は人と馬の係わる社会(群)において、捕食者と思われてもいけませんし、逆に下位の存在であってもいけません、常にトップの存在(アルファ、リーダー)でいなければなりません、そのために常に確固たる意思を持ち毅然とした行動をしなければなりません。
生物としての人は馬にとっては敵(=捕食者)であるということを知っていることは大切なことです。
馬が(人に対して)パートナーらしく振る舞わず、被捕食動物らしく振る舞うと、人は「まったく、しょーがないなー!」と思います。一方、馬の多くも、人が(馬に対して)パートナーらしく振る舞わず、捕食者のように振る舞うと、心休まらず不安になるのです。馬が本能に従った行動をした時、人が(馬のそれでなく)人の思考パターンで物事を考えれば、その馬は「なんとしょーのない奴」ということになります。人は「馬というものは生来被捕食動物として造られている」ということを理解している必要があります。
馬は被捕食者として生まれ、元来臆病で繊細ですが、その度合もまちまちです。
人が馬を買って手元に置いた時、その馬(の全て=その心ね、肉体、その魂)を手に入れたと考え、馬は人の言うことを素直に聞くもの、と思ってしまうと大きな間違いです。馬は1頭1頭、個性があり、単なる所有物ではない。馬にも望みがあり「生理的な」要求もある。馬も心地よく安心していたいのです。貴方が捕食者ではない、ということが馬に分かれば、馬も安心していられるのです。
人間を信頼させること
平成のカウボーイが『難しいのは人間を信頼させる事でした!!』と言っています。
馬方の実感のとおりなのですね。
レスペクト(respect)という言葉をよく耳にします。辞書的には、尊敬する、尊重する、ということですが、信頼と言ってもいいですね。
パレリも『馬の心をつかむこと』がまず第一であると言っています。以下、その概略。
人を尊敬するということは、馬が持ち得る最も重要な性質の1つです。
尊敬するというなかには「恐れるゆえに」ということがありません。(レスペクトに基づく行為)それは望んで行うことであり、協力的(肯定的)な態度です。
馬が人を尊敬することができるためには、馬が人を恐れるのでなく、人を(頼りになる)リーダーとみなさねばなりません。
馬が、馬の視点から、人を群の中のリーダーとみなさねばなりません。
馬は自分にできることは「6つのこと」しかないことを知っています。前へ進む、後へさがる、右に曲がる、左に曲がる、上へ伸び上がる、下へちぢむ。馬たちは群の中にあって、これらの動作を通して、相手の行動を許したり規制したりしているのです。人と馬の関係においても同じです。騎乗している場合でも地上で馬を扱う場合でも、これら6つの動作を通して、馬が人に従ったり許可を得たり、ということを通して『馬が人を尊敬する』ようにさせなければならないのです。
馬の尊敬を得ること、これは騎乗することなく、地上から馬を操ることで達成できることです。もし、地上で達成できないのであれば、騎乗したとしても馬の尊敬を得ることはできないでしょう。馬の尊敬を得るということはなかなか難しいことであり、一度得た尊敬も失うのは簡単です。
ひとたび騎乗したならば、安定した座り、馬の後躯をコントロールすること、そして、どこへ向かうのか、何をするのか、といったことを明確にすることによって、馬が人を尊敬するようにするのです。
馬が人を尊重するということは、精神の収縮状態(コレクション)と解釈したいと思います。なぜなら、その状態というのは、
馬が心(気持ち)を(人である私に)集中してくれている状態だからです。ひとたび馬の心を掴めば、馬の感情をコントロールすることができるようになり、そこから、インパルジョン(impulsion)が生まれるのです。
インパルジョンとは、馬の後躯から生じる凝縮(収縮)されたエネルギーであり、このエネルギーを貯めておいたり、騎手の思う時に思うように使うことができるようになるのです。
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