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バック・ブラナマン主演映画のお知らせ
2011/7/17 (日)
IOAツアーの青木堅至さんのMIXIの日記に・・・バック・ブラナマン(Buck Brannaman)の映画が北米全土で注目を浴びている。 buckthefilm.comでこの映画の概要が見れます・・・とのお知らせがあった。  [MIXI TOP]

題名はBUCK。彼の半生を描いたものだ。彼と彼の兄の子供時代は壮絶なものであった。若き頃、日本に来たこともある。2001年、自伝ともいえる[The Faraway Horses]を出版した。Farawayとは遠く離れた、という意味である。[遠く離れたところにいる馬たち]ということになる。 はじめて本を手にしたとき、はてこの題名の意味するものは?と思った。今年(2012)の夏の終わりには日本語版が出版されそうです。本も、ぜひ、どーぞ。また映画を見ていただければわかるでしょう。日本で放映されるといいですね。されたら見にいきましょう! 【司馬羊羹記】

以下、青木さんのMIXIの日記(2011年6月)です。
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以前、こんな記事を書いたことがあります。
“モンタナの風に抱かれて” [実在のホースウィスパラー、バック・ブラナマンのこと]  

6頭積みのホーストレーラーを引いてバック・ブラナマンが3日間の講習会の為、私が住むモンタナ州の町にやって来た。「バック、そろそろ子馬の調教を始めても良いだろうか?」と尋ねたのは、私がブラナマンの講習会を3回受けた後のことだった。彼から了承を得た私は翌春、まだ調教されていない4歳の新馬を手に入れ調教を始めた。 ブラナマンが再び私の町を訪れた夏、その馬を連れホースマンシップの講習会に参加した。ブラナマンは参加者一人一人にキャンターで8の字を描かせ、リードチェンジを見ていた。私は自分なりにかなり良く調教できたと満足していたが、キャンターしていた足並みが他の参加者の前を通過するたびに止まってしまった。この様に他の馬たちと群れたがる馬はまだまだ危険性が有ると注意され、止まろうとする度に「蹴り続けろ」と怒鳴られた。ブラナマンは自分の講習会で落馬した人間はいないと自信をもっている。彼は馬の動き・性格を知り尽くし、とっさの行動に的確な指示を与える。 今までにも日本から乗馬クラブのオーナーとインストラクター、獣医の先生、自馬を持つ学校の先生などがブラナマンのクリニックに参加している。参加者の動機や目的は違っていただろうが、全員がブラナマンの馬に対する知識と人格に感動したと思う。

映画の原作『ホース・ウィスパラー』はイギリス人作家ニコラス・エヴァンスの処女作で1995年16カ国でベストセラーの記録を作った本だ。 エヴァンスはある装蹄師から”ホース・ウイスパラー”の話を聞いて非常に興味をもち、アメリカ西部にホース・ウイスパラーを探しに来たという。彼は心を引き付ける調教師と、アメリカ西部で出会った。その調教師はワイオミング州に住むバック・ブラナマンという。 「私が書きたかったのは人間 あの馬のように闇に覆われ道を見失った人間について、そして他者の愛情と配慮が、ある状況下でいかにしてそうした生き物を奈落から救い出したかということだ。」と彼は語っている。 “モンタナの風に抱かれて”の監督兼主役を演じたロバート・レッドフォードはブラナマンを彼のダブル役に起用したり、テクニカル・アドバイザーとして馬の調教法を学んだ。

モンタナ州のゲストランチでラングラー長を務めるキップに誘われバック・ブラナマンの講習に参加したのが私とブラナマンとの最初の出会いだった。参加者は決して多くはなかった。キップはこの講習後、トップクラスといわれているそのモンタナのゲストランチのラングラー長の地位を捨て、ブラナマンの弟子としてお金には代えられない地位を選択した。 ブラナマンの講習は馬の調教に止まらず、その場にいる人間たちのカウンセリングまでしてしまう話し上手で8時間のクラス中、馬に触れながらも口も休めることがない。 通常、午前中は子馬の調教クラス、午後はホースマンシップ(乗り手)のクラスが行われる。 乗り手の騎座の姿勢やハミ受けは子馬を調教するのに欠かすことのできない重要な課題だ。ブラナマンはあまりにも雑な我々と馬の足並みを見て、模範演技をしてくれた。彼は自分の新馬に乗っていた。直線で前に8歩、後ろに6歩、歩いて止めるといういたって単調な動き、彼は我々に歩数を数えさせた。最後のステップをおろす瞬間、彼は騎座のみで馬の足を空中で止め、何度もスローモーションのように前肢を進めたり戻したりし、最後にゆっくりとしかもはっきりと地面に下ろした。私はどうしたらそんな動きができるのかつい質問してしまった。彼は私に日本人であれば“気”の存在を知っているだろうと話し始め、乗り手のエネルギーが馬に伝わるぐらい練習しなければならない、サンデーライダー(時間が有る時だけ乗る人)が馬の調教など始めては怪我の元だから止めた方が良いと忠告した。

ブラナマンは幼少時に両親と死に別れ、フォスターファミリー(身寄りのない子供たちを世話する家庭)に引き取られることになった。(司馬注:幼少時に亡くなったのは母親で父親は健在だった。しかし、その父親のために過酷な子供時代を過ごし里親に育てられることになったのだった!)たまたまこの家庭はワイオミングで牧場を経営していた。ブラナマンは6歳で兄と一緒にロデオで投げ縄を披露、13歳の時にはすでに子馬の調教を他の人に教え始めていた。 ブラナマンは幼年時代から馬と生活を供にし、馬を良く観察していたそうだ。自分の心を癒してくれた馬たち、決して自分を裏切らなかった馬たち、その馬たちの生きる道は人間と供に従順に生きることしかないと話す。しかし、馬を生かすも殺すも人間の扱い次第だと言う。

映画の撮影後、アメリカのメディアはブラナマンをテレビや雑誌で紹介した。彼の講習会はホースウイスパラーを一度見てみたいという数百人の観客で埋まった。彼の存在を知った牧場のカウボーイ達が、自分たちではどうにもならなかった暴れ馬をクリニックに連れて来、彼を試す場面はよく見られる光景だ。  公衆の面前で、この様な暴れ馬を連れて来るのは、馬に恐怖感を与えたり、力ずくで征しようとしている無知な偽カウボーイとまで、彼は言うこともある。調教し始めてたった30分、鞍を付けたかと思うと2本の旗を持ち手放しで暴れ馬にまたがった。誰からの指示にもそっぽを向いていた馬達が3日間のクリニックで見ちがえるように変わっていく。 彼は観客に“自分のことをホースウイスパラーと呼ばないでほしい。西部にはこの名前とイメージを欲しがっている調教師はたくさんいるからね。”と言う。

日本のテレビ番組『動物奇想天外』が彼を取材、コーディネートをしたことがある。クイズの回答として「子馬が母親の乳を飲むとき、母親が体を移動させる際、子馬も後ろ足を交差させ母親について回る。この動きがいちばん子馬にとってリラックスした動きになる。後ろ足が交差して横に動いている以上、蹴られたり振り落とされることはない。」と説明していた。 映画の中でも、馬の首にロープをかけ丸馬場を走らせる場面がある。レッドフォードの体の動きで、馬はペースを変え、彼の指示に注意深く反応する。彼の指示が止まるとゆっくりと彼の正面に向かって近づいてくる。そして馬の顔を撫でるシーンがあった。また、広野でじっと傷を負った馬(ピルグリム)を待つと馬の方から彼の方に近づいてくるシーン、これなどは映画のヤラセではなく、実際にブラナマンから調教された馬たちは彼が背を向けても後ろから付いてくるのだ。馬たちも自分たちの技量を引き出してほめてくれる人間には母馬に対する様な従順さをもって従うのであろう。

現在、彼は2月から11月まで毎週3日間のプログラムを計40回、アメリカ全土を回りながら教えている。年間に2,000頭以上もの馬を調教する一流の調教師だ。 彼の調教師としての凄さは、馬の経験の浅い我々にも段階を追って具体的に分かり易く説明できるところだ。そして、彼の説明どおりにやれば必ずどんな馬たちでも調教できるようになるという知識と勇気を与えてくれたことだと思う。

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