Arabian Action in Japan
日本のアラブ馬
by Sharon May-Davis

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シャロンはオーストラリアのセラピスト&研究者です。2003年、厳冬、道東(網走・津別)を訪れました。まず東京及び近郊、数ヶ所にてクリニックをこなし次の訪問地は九州でした。 そして最後の訪問地が網走と津別(シャロン北海道の旅)でした。 このあたりについては、シャロン北海道の旅をご覧ください。 日本においては、純血アラブ馬はきわめて少ないのですが、サラブレッドとの半血種であるアングロ・アラブはお馴染みです。日本とは正反対に、オーストラリアにおいては、純血アラブ馬はお馴染みですが、アラブとの半血種はきわめて少ないとのことです。レースホースとしてのサラブレッドは日本もオーストラリアも同様のようです。引退後に馬場馬として障害馬としてトレッキング馬として用いられるのも日本もオーストラリアも同じようですが、アングロアラブに関してはかなり事情が違うようですね。シャロンは今回の旅において見聞した、日本でのアラブ馬およびアラブの血を受け継ぐ馬たちがどのように使われているか、 オーストラリアン・アラブの専門雑誌である『THE AUSTRALIAN ARABIAN HORSE NEWS』 に Arabian Action in Japan と題して記事を書いています。

THE AUSTRALIAN ARABIAN HORSE NEWS(September 2003)の表紙

最近『日本にいらっしゃいませんか。』とのお誘いを受け、文化と伝統の国、日本を訪れる機会を得ました。 私は馬のセラピストであり馬に関する講義や講演をしています。職業柄、いろいろな背景を持つ、いろいろなタイプの馬に関係することがしばしばあります。この度の日本滞在中に、アラブおよびアラブの血を受け継ぐ馬たちが、いろいろな場面で、時には”ほーっ”と思う(excitingな)場面で、活躍している姿を見てきました。

最初の訪問地は東京です。東京には最も有名な純血アラブの牝馬ハツユキ(日本語の意味は"first snow"つまり初雪)がいると聞いていました。このすばらしい栗毛の牝馬はサウジ王室から裕仁天皇(昭和天皇)に贈られたものです。初雪は今は繁殖牝馬となっていますが、かつて王室パレードに使われたこともあります。しかし、現在は身体も弱っているということで、恵まれた環境の下に余生を送っています。

東京滞在中、栗毛のアングロ・アラブ(セン馬)Aに会いました。オーナーのMs.Bは、1日の3〜6時間、彼女がこよなく愛するAと時間を共にしているということです。Aは1983年、 北海道生まれ。1987年、Ms.Bに見初められました。正に一目惚れだったとのことです。 その時、Aは売りに出されてはいませんでしたが、6ヶ月後、連絡があり、以来、Aは生涯Ms.Bの愛馬となりました。彼と彼女の最初の5年間は『たやすいもの』ではありませんでした。Aはやんちゃ者であり、また、ドレッサージのトレーニングを受けるということは、彼の元々の目的とは違っていたからです。アングロ・アラブは日本においてはレーシング・ホースでもあり、Aは元々レーシング・ホースとして誕生したのです。彼のお爺さんである、Sovereignが競走馬の世界で知られているばかりでなく、父親の、Joanjaeはフレンチ・アラビアン・ダービーの優勝馬です。というわけで、彼女のこよなく愛するAをドレッサージ馬に育て上げるには並々ならぬ情熱が要求されたのです。彼と彼女の関係も16年となり、Aはセントジョージのレベルに達しています。これも彼女の辛抱強い努力の賜物です。

次の訪問地は南の島、九州です。すばらしいアングロ・アラブの障害馬C(栗毛、14歳、セン馬、16ハンズ)に会いました。CはMr.Dの持ち馬になった時点で、既に130cmを軽々と跳ぶことができ、東日本大会出場資格を持っていました。CはMr.Dファミリーの一員となり、一週間に5−6回、Mr.Dが乗っています。騎乗にあたっては、基本的なフラットワークから、単独障害、連続障害、と目的に合わせてプログラムを作っています。

最後の訪問地は北の島、北海道です。午後4時30分、北海道の北部、女満別に着陸しました。 180cmの雪の壁の彼方に日が沈んでいきます。 私の表情がどんなに変わっていったか想像できますか? この地でアラブがどんな暮らしをしているのだろうか? この過酷な条件下でどのように生きのびているのだろうか? あれは?これは?様々な疑問が湧き上がってきました。 この北海道の旅における、私の(哀れな)ガイドであり通訳であるMr.渡辺ですが、彼から 『シャザーダ400kmエンデュランスに出たいのだが・・・可能性やいかに?』という依頼も受けていました。 そして、彼らがどんな馬に、どんな環境の下で乗っているか、という実際を私に見せたい、 ということもありました。

女満別空港でMr.小西に紹介され、さらに50kmドライブし、雪と氷に閉ざされた漁業の町、網走に到着しました。 『ちょうど海全体が氷で覆われている時期に来るなんてラッキーだよ。』とMr.小西さん。 ラッキー?ラッキーだって?・・・いったい誰にとってラッキーなの? もー頭が凍りそうだっていうのに!

私には内緒で、彼らは、翌日、海岸線、雪に覆われたコースへ・・・Mr.小西のホーストレッキング・ビジネスのフィールドとなっている・・・私をホーストレッキングに連れ出そうと計画していました。網走原生牧場は自然環境に恵まれた牧場であり、ホーストレッキングもアトラクションの1つとなっています。次にアラブの血を受け継ぐ馬たちに会ったのはここです。

網走原生牧場 流氷の打ち寄せる海岸

ロッキー(葦毛、12歳、アングロ・アラブ、牝馬)はMr.小西のお気に入りですが、トレッキングに向いている、ということだけではありません。他の馬よりずっとエネルギッシュである、というわけで特別お気に入りとのことでした。 ロッキーの前のオーナーが言うには、ロッキーは神経質過ぎるということでしたが、Mr.小西は気にしません。 Mr.小西によると、ロッキーのすばらしいところは、彼が乗った時は乗馬としてすばらしい動きをしてくれるし、回りに子供たちがいる時には、ケガをさせないように気をつけて行動してくれるところとのことです。

チビ(栗毛、アングロ・アラブ、牝馬、20歳以上)もMr.小西のお気に入りです。 チビは7歳までレースに出て、その後8年間飼養された後、Mr.小西の原生牧場に引取られました。 彼はこの種(アングロ・アラブ)が特に好みのようです。というのも、乗馬経験の浅い人や全く無い人を乗せても、 よく動くし、また感度がよい(つまり頭がよい)からとのことでした。

網走原生牧場の持つもう1つの面は、地元大学の(乗馬部)学生にクラブ活動の場を提供することです。 このプログラムは学生に『馬および乗馬というアクティビティ』に接する機会を与える、 若者にエネルギー発散の場を与える、やってみよう!というスピリッツを与える、そんなこともあるでしょう。 それはそれとして、さて、足元は雪と氷です。そんな地面から足を離していられるのなら、どんなものでもGoodではあります!
(司馬注:地元大学とは東京農大網走校のこと。)

網走を後に津別へ。 この辺りは、自然を扱ったドキュメンタリーでよく目にします。多くの温泉が涌き出ている有名な地域の中にあります。 Mr.西村と彼の純血のアラブ、ジャスミン(牝馬)に会いました。津別訪問の第一の目的は、Mr.西村のエンデュランスに対する思い入れぶりをこの目で確かめることです。                   (後編はこちら)

冬の津別ホーストレッキング研究会の牧場

マネジャーである彼の所属クラブ(津別ホーストレッキング研究会)では、日本の気候に適した、過酷な条件に耐え得る エンデュランス・ホースを繁殖しようと取り組んでおり、ここに、アラブ馬が登場してきます。 アラブ馬の競争心旺盛なところ、力強い歩様、そしてスタミナ。 一方、北海道の厳しい気候に耐えてきた北海道和種の持つ頑健さ。 彼のエンデュランスおよびアラブ馬に対する関心はかなりなもので、 同クラブメンバーのMr.山口Ms.芝田 とともに 『今年のシャザーダに出られないだろーか・・・』 といった言葉が口をついて出てきたのでした。というわけで、『完走することが勝つこと』 というシャザーダのモットーを日本のエンデュランス大好き!達にも贈りましょう。

津別ホーストレッキング研究会 マゼッタ(アラブとドサンコのハーフ)


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