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この記念碑をこの墓地のどこかに眠るドク・ホリデイに捧げる。 |
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「ドク・ホリデイ」こと、ジョン・ヘンリー。1851/8/14-1887/11/8 |
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ドク・ホリデイの前半生。1851年8月14日、ジョージア州のグリフィンにて、ヘンリー・バロウ・ホリデイとアリス・ジェイン・マッケイ・ホリデイの間に生まれる。
1864年、一家は、ジョージア州のValdostaから7マイル北の、Lowndes County(郡)に引っ越した。
ジョン・ヘンリーはValdostaの施設で教育を受けた後、ペンシルベニア州、フィラデルフィアの、歯科専門学校を卒業した。
かれが有名になったのは、1881年10月26日、アリゾナ州のトゥームストン(Tombstone)で、ワイアット・アープとかれの兄弟たちと、
OKコラールの決闘にかかわったことだろう。 |
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18887年5月、ドクはグレンウッド・スプリングスにやってきたが、それからほどなく死ぬことになる。
かれは結核の末期にあり、たぶん、温泉治療(ミネラル・ウォーターと温泉の湯気)に来たのだろう。
1887年11月、何週間かの昏睡の後、ホテル・グレンウッド(上の建物、グランド・アヴェニューと8番通りとの交差点の角にあった。)のかれの部屋で死んだ。
かれの最後の言葉は、This is funny.『こんなことになるとはな・・・』だ。たぶん、ガンマンの弾によるのでなく、ベッドの上で(病気で)死ぬとは思っていなかったからだろう。
葬儀の際、長老派教会の牧師、W.S.Rudolphが弔辞を述べ、Linwood墓地に埋葬された。
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墓地はグレンウッド市街から歩いて上る丘の上ですが、墓地内でのドクの元の埋葬場所は分からなくなってしまい
1950年代になってから、観光客目当てに記念碑が立てられ、更に2004年写真の記念碑が新調されました。
上のガイドにも書いてありますが、病床のDocの最後の言葉は ”This is funny" であったとのこと。
多分、今もこの墓地の何処かで ”俺の墓がどうなったか分からぬとはツイテないよ”と苦笑してることでしょう。
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Glenwood Springs はCororado Springs, Pagoda Springs, などと同じく、Spring の地名のとおり
温泉地の一つです。ドクが結核療養にと移り住んだのもわかります。
写真の大プールの奥が熱い原泉で手前になるほど温度が下がる温泉プールです。
左側には、アルカポネとかルーズベルト、ディマジオなどか泊った豪華ホテルもあります。
その昔、Docが療養していたホテルは上のガイドにもありますが、右下に広がる街の中です。
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余談ですが、この鉄道は現在も動いている大陸横断鉄道 グレンウッドスプリングス駅です。
大温泉プールの対岸になります。 画面奥がデンバー方向です。
SF又はLAからソルトレイク(Salt lake)-グランドジャンクション(Grand Junction)を経由して1泊2日位で来られるはずです。
その昔、ミネアポリス-シアトル(MInneapolis-Seatle)の3泊4日、2等席の長旅をやったことがありますが、鉄道もいいですよ。
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○○○1885年頃のガニソンの町
○○○○○○同じ四つ角に立って自分ショット
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地元紙に、1880年代のドクとアープが歩いた通りとある。(ガニソンミュージアム蔵)
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当時のガニソン駅と高山(主に鉱山)専用Narrow Gauge (狭軌)SL.
ドク達二人も乗ったはず。
デンバー(Denver)から山越えで更に西へとグランドジャンクションに通じていた。(50年代に廃線)
デンバーから標高3000mのコンチネンタル・ディヴァイド(Continental Divide)アルペン・トンネル(Alpine Tunnel)を越えた初の大陸横断鉄道。
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