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文武両道
2005年5月 司馬記

2003年、養老孟司著『バカの壁(新潮新書)』が大ヒットしました。氏の著作はたくさんあり何冊か読んでみましたが、どれも大変おもしろいものです。最近その『バカの壁』を読み返してみました。『文武両道』について書かれています。文武両道という言葉を知らない人はまずいないでしょう。その意味するところは『文も武も同じように大事である』と理解していると思います。慣用句辞典である成語林(旺文社)にも『文武は車の両輪』として同様の説明が載っています。 『文武両道』というと三島由紀夫氏を思い出します。三島氏は高名な文人であり且つ武人として、もの言うだけでなく実際に行動(楯の会を作り自衛隊に決起を促し割腹)した人です。その『文武両道』について養老さんは以下のように言っています。


江戸時代は、脳中心の都市社会という点で非常に現在に似ています。江戸時代には、朱子学の後、陽明学が主流になった。陽明学というのは何かといえば、『知行合一』。すなわち、知ることと行うことが一致すべきだ、という考え方です。

しかしこれは、『知ったことが出力されないと意味が無い』という意味だと思います。これが『文武両道』の本当の意味ではないか。文と武という別のものが並行していて、両方に習熟すべし、ということではない。両方がグルグル回らなくては意味が無い、学んだことと行動とが互いに影響しあわなくてはいけない、ということだと思います。

赤ん坊でいえば、ハイハイを始めるところから学習のプログラムが動き始める。ハイハイをして動くと視覚入力が変わってくる。それによって自分の反応=出力も変わる。ハイハイをして机の脚にぶつかりそうになり、避けることを憶える。または動くと視界が広がることがわかる。これを繰り返していくことが学習です。この入出力の経験を積んでいくことが言葉を憶えるところに繋がってくる。そして次第にその入出力を脳の中でのみ回すこともできるようになる。脳の中でのみの抽象的思考の代表が数学や哲学です。



How To Rideに以下のように書きました。
どんなスポーツでも”習うより慣れろ”、”身体で覚える”ということがありますが乗馬(馬術)についても同様ですね。 乗馬(馬術)では”馬術感覚(を磨く)”ということも言われますね。 机上の空論!本を読んで乗れるか!という言い方をする人もいるでしょうね。むろんただ読んで想像してて(上手に)乗れるわけはありません、当ったり前のことです。『せんだつはあらまほしきものなり・・・』です。 宮本武蔵は『五輪の書』を残しましたが、私は読んだことがありません。思想、精神論、哲学があるのでしょうね。むろん、武芸のハウ・ツー、つまり敵を倒すその極意も細かく書かれているのでしょう。せんだつの知恵を借りることがない人がいるのでしょうか?

『五輪の書』に鍛錬という言葉があるそうです。鍛錬してある技や動作を身に付けるのですがとは1000回(千の単位)の繰り返し、とは10000回(万の単位)の繰り返しを意味するそうです。言うは易し行うは・・・(^^; 乗馬クラブでレッスンを受けます。あーだこーだと言葉でレッスンを受けます。日本は『男はだまって○○ビール・・・』の社会ですから、言葉(論理)はないがしろにされる傾向にあります。そこへいくと、西洋(一神教の世界)は『はじめに言葉ありき・・・』の社会です。そりゃあ、言葉(論理)の洪水かもしれません。それでも昔から乗馬(馬術)の世界で使われる常套句が『何を言っているのか分らない』のは東も西も同じらしいですが。(^^; で、言葉を文字にしてまとめたものがですね。対症療法的アドバイスにもそれなりに効果があるでしょうし、それはそれでやらねば(直さねば)ならないことだと思いますが、根本的治療にはなりませんね。効果のない、むしろ弊害のある、あるいはポイントは外した、知恵・方法論に従って鍛錬しても上手にはならないでしょう。

現代のように出版が盛んでなかった時代、何事によらず、人はよき師を求め日本中歩き回ったそうです。よき師を求めましょう。言葉と文字(書物)も大いに活用しましょう。その言葉や文字の中身が正しいか、伝え方(教え方)が上手かどうか、それは貴方(私)が身をもって判断するしかないですね。ある西欧圏の著者は『人は効果のないことをなんと(がんばって)やり続けることか・・・』ということを言っています。長らくやっていて上手くいかない時、変えてみましょう、何をどー変えるか、それがポイントですね。お互いに探しましょう。



入力・出力・グルグル回す・・・がキーワードですね。見たり聞いたり読んだりして(外部から)入力し、身体を使って出力し、その結果を感じとって(入力して)、及びそれと並行して(さらに外部から)入力し、そして身体を使って出力する=グルグル回すということですね。
試行錯誤ということですね。なにを当たり前のことを言っているのだ!ですが、その当たり前のことをやっていないのが我々でしょう。『人は効果のないことをなんと(がんばって)やり続けることか・・・』というとおりです。なんとがんばって同じことをやりつづけることか・・・・。入力がないということですね。

見たり聞いたりする相手は、たいていの場合、友達やインストラクターあるいはビデオ(DVD)ということになりますね。入力源である友人やインストラクターは、そー多くはなし、そー簡単にとっかえひっかえもできません。また、その友人やインストラクターが入力することに熱心でなければ、少なくとも貴方(私)にとっての新しい情報は入ってきません。自分では試行錯誤しているつもりが、何と同じことを・・・の繰り返しなんですね。人類が持った(と言われている)最古の文字情報は十戒を記した石版のようです。入力源として、まずは手元に置いておけて、いつでも読むことができる文字情報(本)がいいような気がします。

そーは言っても、最初かなりの期間、昔から乗馬(馬術)の世界で使われる常套句が『何を言っているのか分らない』のはむろんのこと。他にもわからないことがたくさんあるでしょう。しかし、入力(読む)・出力(乗る試す)を繰り返す(グルグル回す)以外に方法はないと思います。けっきょく感覚・感性によるもの、身体で知ることですから、やむをえませんね。ある人が言ってます。『ある期間、たくさん乗らねばならないが、あるとき以降はやたらと乗ればいいってもんじゃない。』あるところまでいったら、ここはこーせねば、同じこと(やり方)をしていてはいけない等々(別なこと、新しいこと、より高度な方法などを入力して)考えにゃならん、ということですね。で、その入力する中身ですね。(^^;


入力する=学ぶということですね。
せっかく成語林を開いたので『学ぶ』のページを見てみたらこんなのがありました。

学べば則ち固ならず 「固は、かたくなの意」
意味:学問をすれば見る目も広くなり心も豊かになって、
□□:かたくなで物にとらわれるということもなくなる。
以下、いくつか列挙します。興味のある方は調べてみてください。(^^;
●学ばざれば牆(かき)に面す
●学びて厭わず教えて倦まず
●学びて思わざれば則ち罔(くら)し
●学びて然る後に足らざるを知る
●学びて時に之を習う、亦説ばしからずや
●学ぶ門には書来たる
●学ぶに如かず
●学ぶ者は牛毛の如く、成る者は麟角の如し

先生と言われる程の馬鹿でなし
意味:(「先生」と呼ばれても敬意からの言葉とはかぎらず、かえって馬鹿にされている
□□:場合も多いことから)「先生」と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう
□□:言葉。また、人をむやみに「先生」と呼ぶ風潮への皮肉。
先生と呼ばれる人は心からそー呼ばれるよーであってほしいですね。 内心プライド高く、
自分の経験や今までそー考えていたことに固執し、他者の意見・異見を素直に聞かず、
居丈高な態度をしたり、小ばかにしたり、内心『心憎く思ったり』ということがないように。