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ホムンクルス
Homunculus
[FOR THE GOOD of the RIDER by Mary Wanless]

2005年5月 司馬記

ホムンクルス:辞書によると=(1)小人.(2)(人間の)胎児.(3)人体模型, マネキン。
ペンフィールドという人が書いた奇妙な『人のイラスト』が右上の図である。


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Maryは他にも、The Natural Rider、Ride With Your Mind など良い本を書いています。

身体各部への外部からの刺激を感じるのは、それぞれ脳細胞のある特定の部分であることはよく知られていますね。例えば、脳細胞の中の聴覚をつかさどる部分を損傷すれば耳が聞こえなくなるという障害がおこります。身体各部への外部からの刺激を感じる脳細胞のある特定の部分の感度の良し悪しによって、その外部からの刺激に対する反応(つまり動作)の良し悪し(思いどおりに微妙に動かすことができるかどうか)も決ってきます。

ホムンクルスを見てください。胴体、腕、太腿、膝から下の部分の大きさに比べて、足(靴を履く部分)と手が異常に大きく描かれています。また、手のうちでも親指が異常に大きく描かれ、中指と薬指は人差し指と小指に比べて小さく描かれています。頭部では目と唇と口が異常に大きく描かれています。親指が異常に大きいのは、手を使う際に親指の役割がそれだけ大きいということですし、唇と口は、食べたり、飲んだり、話したり、笑ったりと大忙しです。これら描かれ方の違いは、一般的な人について、身体の各部分の感度の良し悪しを表しています。普通の身体(各部の大きさ、他の部分とのバランス)とは大違いですが、脳細胞から見るとまさしくこれが貴方(私)なのです。

野球をするとき、ボールを扱う『その手と目の連携プレー』はみごとなものです。日々の生活の中で手に頼る部分は大きなものですが、乗馬においてそのスキルは手に頼ってはいませんし、頼るべきものでもありません。乗馬の際に使う身体のある部分というのは、残念ながら求められる感度を元々持っていないの、元々ハンディーがあるわけです。

(比較)対照(contrast)ということについて
人は普段使わないアクセント(ちがう言葉)を真似(発音)することができます。これは唇や口や喉を繊細に使う(動かす)ことができるというです。これら器官の動かし方を僅かに変えるだけで、どれだけ違う音が出せるかわかるでしょう。今、貴方はある人々(北の人でも南の人でも)の言葉を真似て発音しようとしているとします。貴方が母国語を話すのと同じように、彼等もまたずーっと前から、彼等の言葉を話すのにふさわしい唇や口や喉の使い方が身についているわけです。 彼等は今貴方が(彼等の言葉を発音しようと)唇や口や喉をいつもと違うように動かして、いつもと違う音が出ているな、と感じているなどとはまったく思いもしないでしょう。なぜなら、こーゆー(違うと認識する)感覚は別のあるものと(比較)対照することによってのみ感知し得ることだからです。

初めてこれ(ホムンクルス)を見たとき、従来の乗馬の本には、手や脚の位置については多く書かれているのに、身体の中心に関することがほとんど書かれていないか、その理由がわかりました。扶助についても、内方手綱(Inside hand)、外方手綱(Outside hand)、内方脚(Inside leg)、外方脚(Outside leg)をどーするということが多く、また『深く座る』とか『腰を使う』ということも言われますが、これらが実際にどーゆーこと(動作)かということを詳細に説明するということもなされていません。

残念ながら、古典と言える馬術書を書いた偉大な馬術家たちも、この『脳細胞と身体各部との連携プレーの原則』(The rules of neurology)の例外ではありません。従って、彼等においても、感度のよい部分(手足)について多くを語っているのです。このことは、特に(元々)才能に恵まれたライダーについて言えるでしょう。彼等は上手に乗るということに関して身体の中心(座骨部分)の態勢、位置、その重要性について(当然ながら)多くを語りません。彼等は元々才能に恵まれているがために、身体の各部分を上手に使い動かすためのあれやこれや身体の中心(座骨部分)とがどのように関連しているかということに思いが及びません。つまり(比較)対照(意識して何もしなければ悪い動きになってしまう座骨をどーしたら良い動きにすることができるか)するということができないのです。彼等と違い才能に恵まれていないライダー(著者や著者と同様の指導者)は、(比較)対照(する)という過程を通ってきているので、必要な材料をたくさん持っているのです。

馬に乗っていて何か(不都合)が起これば、いけないとわかっていても、まずは手を使ってなんとかしようとしてしまうこと、身体の中心(座骨部分)に必要な筋力と(筋力を使って)その態勢、位置をどーするかを学ぶ(知る)のは簡単なことではないこと、手を使ってしまう誘惑に負けず、違う方法(筋力で身体の中心を使う)を選択できるようになるということは簡単なことではないこと、これらはホムンクルスを見ればわかることですね。 乗馬においてもっとも大事なことは、元々ある(我々が持っている)『脳細胞各部の感度及び身体各部との配線のあり様』(Natural wiring)を変えるということです。つまり、手の支配権を減少させ、身体の中心が器用に動く(動かせる、使える)ようになることです。手がやってのけると同じような器用さ(繊細さ)を身体の中心に持てるようになること。 身体の中心を良い態勢、位置にするための方法(Choices)をいろいろと身につけることです。むろん、これは一朝一夕にできることではありません。

多くの名選手が元々才能に恵まれているかどーかはわかりませんが、 ともあれ「名選手必ずしも名コーチならず」と言うのはこのことですね。 「肩を後に」とか「脚を引く」とかは対症療法ですが、手を使ってしまうというのは対症療法どころか大いにまずいですね。(-.-) そーは言っても、つい手が先になってしまうのは普通の人なら当たり前のことね。『引っ張るな!』と怒鳴られてもねぇ。(^^; あれが悪い、これが悪い、だめだな〜、と指摘するだけなら(ちょっと経験のある人なら)誰でもできます。どーしたら手が動かなくなるか(座れるか)、どーしたらとっさに手綱を引っ張らない別の動作ができるようになるか、みんなそー思いながら乗ってるわけですしね。

ホムンクルスで実際の身体各部の大きさのバランスに比べて小さく描かれている身体の中心(座骨部分)を手のように使えるようになること(使う=動かすには筋力が必要です)が最重要のようです。 あんまり難しく考えないで楽しく乗ってればいいようなものですが、座りがどーの、半停止がどーの、ということになると面倒(奥が深いという言い方もありますが...(^^;)なものですね。ある人が『ある期間、たくさん乗らねばならないが、あるとき以降はやたらと乗ればいいってもんじゃない。』と言うのもなるほどと肯けるところです。(^^;

なんと言っても姿勢が重要であるということで姿勢を重視したレッスンをするインストラクターもいるでしょう。この考え方は身体の中心がもっとも大事であるということと相通ずると思います。もっとも、その基本姿勢(および基本姿勢につながる身体の使い方)に対する考え方が正しければですが。外から見た正しい姿勢わかりまよね。基本姿勢を重視した、それが身につくようなレッスンをするのでしょうが、実際どのようなレッスンでしょうか?

手綱に頼らないという意味で、調馬索で手綱は持たせず、というのは当然ありますね。外から見た姿が良くなるには、良い状態を保つには、身体の内側をどーするか、どー使うか、使えるか、ということですね。乗馬を始めるキッカケは人それぞれでしょうが、テレビや映画で見る『疾駆する馬に乗っている姿』に憧れてというのは(私を含めて)多いでしょうね。まず基本は姿勢であるというわけで地味なレッスンが多いと、つまらな〜いということもありますね。ですが、けっきょく、それが早道のよーな気がする今日この頃です。(^^; ・・・この
正しい(と言われている)姿勢について、わかりますよね、とは言ったものの、はたしてわかっているのでしょうか?(-.-)

乗馬とは関係ありませんが、文武両道についてもふれている養老孟司さんの『バカの壁』(新潮新書)にもホムンクルスの話があります。ページトップのイラストは身体の上下がさかさまになっています。ペンフィールドのイラストがさかさまなのか、養老さんがさかさまにしたのか知りません。 養老さんの話は、身体の各部の感度の違いということについてではなく、脳の中では、身体の各部分をつかさどる部分が、身体の順序(上下)と逆順(上下がさかさま)になっているという話です。興味のある方は『バカの壁』を読んでください。

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