刷り込みについて
非対称について
グランドワークについて
乗馬クラブってこんなとこ
Imprint Training of the newborn foal 司馬羊羹
ドクター・ミラー
津別ホーストレッキング研究会

出産に立会い、産まれた直後、翌日にも摺り込みをします。安心して人に懐き、後々の調教を容易にします。

グランドワークの一部というか、グランドワーク以前というか、『産まれたての子馬を摺り込みにより人に慣らせ、以後の調教・訓練をより容易にする』ということがあります。摺り込みと聞くと、卵から孵化した直後の鳥(がちょう)は最初に見た動くものを親(安心できるもの)として認識する、というのを思い浮かべるでしょう。同様の現象は馬にもあてはまるようです。
摺り込みについてはMr.Robert M. Millerが紹介しています。あるホースマンは『摺り込み』は確かに有効だが、それ以上に重要(まったく乗ったことがない人や超初心者を相手とする場合は特に必要)なことは、血統的に人にフレンドリーな馬を創り出すことだ、と言っています。確かに身体能力を基準にして目的に適う(速い・力強いなど)馬を血統を考えて生産していることを考えれば、うなづけることだと思います。(2007/7/14 司馬記)

トレーニングスケジュール:
@ 出産直後。まさに最初の摺り込みをする時です。
1時間ほどかけて人に触れられることに対する違和感をなくす作業(7章)をする。
A 子馬が立ち上がってから2−3時間の間。
同じく人に触れられることに対する違和感を無くす作業(8章)と
(9章)ある刺激(ある意図を持って子馬に働きかけること)を与え、それ対して好ましい反応をするようにする。
B 子馬が立ち上がってしっかりした足取りで動き回るようになったら。個体差はあるが12−24時間の間。
リードロープを付け固定する作業をするが、子馬が弱々しかったり、ふらついている場合は、しっかりするまで待つ。
ともあれ、この作業は時期が早ければ早いほど容易である。
C 誕生の翌日。前日行ったことを再度行い確実にする。
特にリードロープで引き馬とロープを固定すること。母馬と一緒に馬運車に乗せる。
D 生後3日目。前日までに行ったことの復習。子馬はおとなしく引き馬されるようでなくてはならない。
E 生後1週間。(11章)子馬に付けたリードロープを持ち母馬に騎乗し子馬を母馬の横に置き付いて歩かせる。
F 生後8日目。今までの復習。(11章)前日は母馬と一緒に歩かせたが、今日は速歩で付いて来させる。
G 生後9日目。今までの復習。リードロープを持って人に引かれて歩かせ、停止と後退を教える。
H 生後10日目。今までの復習。(12章)人に注目しながら静かに止まっていることを教える。
I 生後2週間。今までの復習。リードロープで引き馬する。子馬にリードロープを付けて母馬に乗って子馬を引く。
(13章)にあるように、子馬にリードロープを付け、そばでロープを振り回すなど、いろいろな動作をする。

摺り込みのスケジュールはだいたい上記になりますが、むろんこれだけではその実際がわかりませんね。
摺り込みについて日本人によって書かれたものがあれば、あるいは翻訳があればいいのですが、なさそうです。
Imprint Trainingは英文ですが、説明文にはたくさんの写真が用意されていますのでわかりやすいと思います。

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Imprint Trainingは1991年初版で2005年に第22版が出版されました。私の持っているのは第22版。 第22版にアップデートとして、1996年のWestern Horseman Magazineの記事が転載されていました。 その記事とはMonty Robertsが ジェイコブ氏(たぶん、Montyの顧客)に宛てた手紙です。以下、その内容です。

ジェイコブ氏へ:
ジョッキー・クラブより、牝馬「ラドラブル」に関する資料を受け取りました。そのラドラブルが、Imprint Training の研究対象となった馬です。まず、ご承知おき頂きたいのですが、(当然ながら)我々が所有している繁殖牝馬達が神経質であったり全く手におえない馬達である、ということをお伝えしたいと考えているわけではありません。もし、非常に扱いにくい母馬から生れた子馬に対して"刷り込み"をし、その結果が満足のいくものであれば、普通の気質を持った母馬から生れた子馬の場合は(なおさら)満足のいく結果になるであろうと推測できるからです。

研究対象となった牝馬、ラドラブルは1980/4/8に生れました。父親はナチュラル、母馬はドルス。 ラドラブルは0〜1歳の間(Yearling)、非常に扱いにくい馬であり、有能なホースマンに扱われていたにもかかわらず、ブレーキングの過程においても、扱いにくいことに変りはありませんでした。結局、厩舎の中で、壁を蹴って、後脚にひどい怪我をしてしまいました。 怪我が癒え(その扱いにくさは変りませんが)なんとか調教を受け、レースに出ることとなりました。 しかし、レース場への移動中に癇癪を起こし、馬運車を壊しそうになったほどです。その際、また脚に怪我をしてしまい、獣医の判断によって、競走馬としての生命は終わってしまいました。(以後、繁殖牝馬となる)

繁殖牝馬としての経歴
● 1983年に牝の子馬を産みました。子馬は1984年に蹄を切られる際に暴れて死んでしまいました。
● 1984年に子馬を産みました。子馬は矯正不可能と判断され、安楽死させられてしまいました。
● 1985年に雄の子馬を産みました。子馬はフェンスに激突して死んでしまいました。二人のホースマンに扱われていま
  したが、二人とも優秀なホースマンと聞いています。また、それ以前の2頭の子馬を扱っていた人とは違う人です。
● 1986年に雄の子馬を産みました。この馬はまともに調教が進みレースに出て勝ちもしましたが、1989年、3歳の
  時点で、気むずかしく危険であるとして安楽死させられてしまいました。扱っていたホースマンは、その前の3頭の
  子馬を扱っていた人とは別人です。
● 1987年に牝の子馬を産みました。その子馬は1988年に死んでしまいました。放牧地で他の馬に襲いかかり、
  その後、人にも襲いかかったとのことです。聞いたところでは、興奮のあまり心臓発作を起したようだとのことです。

★ ここまでの5頭は刷り込みなし。すべて死亡あるいは安楽死。
★ ここからの6頭は摺り込みをされています。

● 1988年に雄の子馬を産みました。ベルディキオを名付けられたその馬が"刷り込み実験"の対象となりました。この時
   "刷り込み"を行った人は、刷り込み作業に熟練した人ではありませんでした。当時のやり方と今現在のやり方を比べ
  れば、たぶん半分以下の効果しかなかったと思えます。しかし、この馬は死ぬこと無く、調教を受け、北米のレースで
  3度勝ちました。聞くところによると、その馬は現在も生きており、気質も普通の馬と変らないとのことです。
● 1989年に牝の子馬を産みました。ジュールと名付けられ、生れた直後から、前の時と比べると数段洗練されたやり方
  で刷り込みをされました。普通に調教され、一度だけレースに出ましたが、競走馬としての強さはなく、馬術の世界
  (Show ring)に転向し競技を行っており、性格も良い、と聞いています。
● 1990年に牝の子馬を産みました。アドラブリーと名付けられ、普通に調教され成績も良く、今も生きています。
  刷り込みは、生れた直後から1時間、前の2頭の時よりも、さらに洗練したやり方でした。
● 1991年に雄の子馬を産みました。アウトザドールと名付けられ、普通に調教され成績も良く、性格も良い、
  と聞いています。刷り込みは、生れた直後に行われ、さらに、1週間以内に2回行われました。
● 1992年に牝の子馬を産みました。ローレと名付けられ、カリフォルニアで調教中です。私が考えるに、この子馬は、
  最高、最新のやり方で刷り込みをされました。18ヶ月の時に我々の牧場に来て調教を受けています。才能のある馬
  で、初期調教も順調に進み、カリフォルニアのKjell Zvaleに競走馬として売却されました。成績も良く、40000ドルを
  稼ぎました。現在、サンフランシスコで調教されていますが、彼女に接する全ての人から、おだやかな良い性格だと
  言われています。
● 1993年に栗毛の雄の子馬を産みました。アウトローと名付けられ、現在、我々のところで調教されています。
  あらゆる点において全く普通です。

ここに述べた以上に刷り込みの効果を証明する事実があるとは想像できません。アドラブルは自らの問題のために競走馬としての役目を果たせず繁殖牝馬となり、まず5頭の子馬を生みましたが、5頭すべて非業の死を遂げました。その後に生れた6頭については、刷り込みが行われ、6頭すべて生存したばかりでなく、最初の5頭と比べ、その性質の違いは劇的なものでした。この歴然たる結果を凌ぐものがあるとは考えられません。
モンティー・ロバーツ