津別ホーストレッキング研究会

なぜ今なのか?
Why Now?
2009/8 司馬 ドクター・ミラーTOP
The Revolution in HorsemanshipはAmazon.co.jpにあります。
The Revolution in Horsemanshipの目次は[ここ]にあります。
ナチュラルホースマンシップの革命は20世紀の最後の数十年の間に起こった。注目すべきことは、どのようにして馬と人との関係が見直されたのかということだけでなく、その革命が起こったのがその時期であったという事実である。

馬は過去何千年もの間、人が生きていく上で大きな存在であったが、もはやそういう存在ではない。 内燃機関の発明以来、馬の数は確実に減っていったし、都市住民が馬を扱うことなどほとんどない 状況になっていった。近代の人間の生活にとって馬は無用の存在になっていたのである。

長い間あたりまえのこととして用いられてきた従来からある馬を扱う方法が急激に変化してきたのだが、 ここでさらに注目すべきことは、その変化をもたらしたのが、行動科学の専門家である学者でもなく、 ものの善し悪しをあれこれ言う哲学者でも牧師でもなく、何世紀にもおよぶ経験と知識に裏付けられた ヨーロッパ古典馬術の信奉者でもなく、アメリカ北西部の数人のカウボーイであったということである。

この革命が起こった当初、これら数名のカウボーイと同時代の同じアメリカ人、イギリスのホースマン、 熱狂的馬場馬術ファン、そして特に他の国々のホースマンたちに疑いの目で見られたが、 そういう者たちは急速に減っていった。

この革命によってもたらされたホースマンシップに相応しい呼び名を付けるのはむずかしい。 このホースマンシップを教えている多くのクリニシャンは、各メーカーが自社製品に名前を付けているように、 それぞれ自分が相応しいと考える名前を付けている。いくつか名前を挙げると: レジスタンスフリーホースマンシップ(resistance free horsemanship)、ユニバーサルホースマンシップ(universal horsemanship)、ニューエイジホースマンシップ(new age horsemaship)、プログレッシブホースマンシップ(progressive horsemanship)、ダウンアンダーホースマンシップ(downunder horsemanship)、ルネッサンスホースマンシップ(renaissance horsemanship)、アウトサイドザボックスホースマンシップ(outside-the-box-horsemanship)、そして、 ナチュラルホースマンシップ(natural horsemanship)である。

最後のナチュラルホースマンシップが世界中で最も流行っている。その他の名前もこの新しいホースマンシップが どういうものか暗示的で相応しいものだが、ナチュラルホースマンシップという言い方が最もよく知られている。

ナチュラルホースマンシップとは何であろうか?誰にとってナチュラルなのであろうか?いま我々話しているホースマンシップは 人間にとってナチュラルではない。まったくナチュラルでない!我々はこの方法を教えてもらわねばならないし、 学ぶ意思のある者の中でも、最も献身的で、なんとしても学びたいという熱意があり、最も大きく心を開き、 自らの意思で人間の当たり前の感情に抵抗できる者だけがマスターできるものなのである。 まさにナチュラルホースマンシップは馬にとってナチュラルなのであり、それ故に有効なのである。

こんにち我々は、かつては限られたホースマンにしか知られていなかったことを学ぶことができる。 そのこととは、その種が生れながらに持っている意思疎通の方法を使って、その種と意思疎通を図る方法 のことである。我々は馬が理解できる言葉を使って話しかけることができ、馬と人間とのコミュニケーションをより良くすることができるのである。我々は馬にして欲しいことをやらせることができるが、馬に無理強いするのでなく、馬は自分の意思でそうするのである。

しかし、なぜ今なのか?なぜ100年前にこの革命が起きなかったのか? その当時、輸送手段、農業、商業活動、軍事力など、我々の社会は馬に全てを頼っていたのに。 繁栄を極め工業化された国では馬はほとんどレクリエーションにしか用いられなくなった時期になるまで、 20世紀も終わりかけ21世紀になろうとしていた時期になるまで、なぜこの革命は起こらなかったのであろうか? そして、アメリカ、カナダ、西ヨーロッパ、オーストラリア、ニュージーランドなどでは広まっているのに、 第二・第三世界では広まらないのか?

そこにはいくつかの要因がある。

学問分野としての心理学(Behavior as a field of study)
心理学(The science of psychology)=行動についての研究(the study of behavior) は一般的に社会に受け入れられるようになったが、数千年にわたって研究されてきた解剖学や生理学と違い、 人がいかに行動するかという科学的研究(the scientific study of behavior)の歴史は たかだか100年であり、心理学における重要な領域について、その多くの部分はつい最近になってわかってきただけである。 20世紀初頭、ほとんどの医師は心理学を学ぶことはなかった。 つい最近になって、一部の獣医学部が動物行動学(animal behavior)をカリキュラムに取り入れた。

数世代前まで、ほとんどの人は心理カウンセリングを受けたり心理療法を受けたりしたことを他人に知られるのをはばかった。 こんにち、心的外傷後ストレス症候群PTSD(Post-Traumatic Stress Syndrome)と呼ばれているものは、 第1次大戦においてはShell-shoch(戦闘神経症)、第2次対戦においてはbattle-fatigue(戦闘神経症)として その存在が知られていたものであり、兵士が必要な援助(心理的な治療)を受けることに対して 抵抗を感じることは少なくなってきている。しかし20世紀も終わりに近づくと、こころの問題(神経症)について治療 を受けることは当たり前のことで、抵抗なく話し合われるようになった。プロザック(Prozac)という抗鬱薬は最近もっとも 処方されている薬の1つである。

ある種がいかに行動するかということについて、その行動の多くについては予めDNAにプログラムされており、 それ以外については経験により学んだ結果であることが科学的にわかってきた。 こころのあり様(精神状態)と外に現れる行動との関係はかなり良くわかってきており、 行動をいかに制御するかについては、1つのまとまった体系が見つかっている。

教育
こんにち馬のオーナーたちはちゃんとして教育を受けている。 しかし1世紀前、馬と共に働いていた人たちのほとんどは教育を受けていなかった。 実際、多くの人たちは読み書きができなかった。そしてその状況は世界の多くの地域で現在も存在し、 そのような無知が支配する地においては間違ったホースマンシップが幅を利かせている。

教育によって、人はいかにものを知らないか、世の中には知るべきことがいかに多いか、ということを学ぶ。 実際、未知のもの(アイデア)に対する慎み深い態度とこころを開いた態度というのは、 その人の知識の深さ、受けた教育の深さによく合致する。 自分はすべてわかっていると思っている人は単なる無知な者ということである。

こんにち馬のオーナーたちは新しいもの(アイデア)に対してよりこころを開いている。 そのわけは、まず彼らはその内容期間ともに過去よりさらに充実した教育を受けており、 自分たちがさらに成長することにも大いに関心があるからである。

情報伝達手段の爆発的拡大
こんにち情報は瞬時に発信することができるが、過去においては、 ある情報を一般に広く知らしめるには何カ月あるいは何年もかかった。 こんにちの馬のオーナーたちは本を読み、雑誌を購読し、インターネットを使い、ビデオテープをたくさん買い、 テレビの馬関連番組を見て、ラジオにも耳を傾けるが、最も重要なことは、この革命を推進している クリニシャンたち自身が世界中を飛び回り、一般の馬のオーナーたちに直に伝え教えているからである。 オーナーたちはクリニシャンのすることを直に見て、それにおどろき、自分も学びたいと思うのである。

この情報を欲しいと思えば誰でもすぐに入手できる。 こんにち情報は価値のある商品であり、商品として市場に存在する。 商品は市場で競争しており品質管理は至上命題である。 これら情報をいかに早く手にするかということはすでに簡単なことになっている。 人がこころしなくてはならないことは、その情報(how to)を自分の馬にあてはめようとするとき、 ゆっくりやることである。 なぜなら技術がものごとを処理するような速さで馬はことを処理することはできないからである。

ホースウーマン
この革命がこれほど速く広まった最も重要な要因は−人類史上初めてのことだが− 女性たちが馬にかかわる産業に大きな影響力を持っているからである。 この潮流を創り出したクリニシャンたちは、彼らのクリニックに参加する聴衆の中に多くの女性がいなかったら、 このビジネス(クリニック)を続けていくことはできなかったであろう、と言うであろう。

過去を振り返れば、馬に関わること(ホースマンシップ)について女性の役割は取るにたらないものであった。 料理や掃除が女性の仕事であったように、馬を扱うのは男の仕事であった。 19世紀、余暇として馬に乗る女性もいたが、彼女らはそれが可能な上流階級の者であり、 たいていはサイドサドルで乗っていた。こういうケース以外では、歴史上、例外を除き、 女性は馬車などに乗るということだけであった。 20世紀となり、生活レベルの向上と女性解放の流れがあいまって、 こんにちでは当たり前となった−レクリエーションとして馬に乗る女性 (the female pleasure rider)を生み出したのである。

女性たちは過去のいかなる時代よりも馬というものに深い関わりを持っている。
聴衆の質問に応えるクリニシャン、リンダ・パレリ。

女性が馬乗りとして登場してきたことが、馬具、(女性用)乗馬服、馬、蹄鉄、その他馬関連製品を売っている者、 馬関連産業にとっては偶然のできごとだとしても、 馬にとっては幸運なことであった。なぜか?それは女性というものは生れながらに「他者を慈しみ育てる」という性質を 持っており、闘争を避けようとする本能もある。 男に比べ女性は、攻撃的でなく、立った姿、話し方、動作が馬に威圧を感じさせにくく、馬いやさしく触ったり、 小声で話したりすることに恥じらいを感じにくい。女性のこういう特性に馬はより良く反応するのである。

しかしながら、馬に威圧感を与えにくく、馬に走って逃げたいと思わせにくい性質は、 反面、馬が女性を尊敬しない、女性を支配下に置こうとする傾向を助長することがある。

この革命が起こった当初、クリニシャンが全て男だったのはこういう理由であろう。 しかし時が経つにつれ、リンダ・パレリ、リー・スミス、ジュディー・グッドナイト、カレン・ショール、 タミー・ヨストウィルデン、レスリー・デズモンド、そしてオーストラリアのラングラー、ジェイン・グレンなど、 女性のナチュラルホースマンシップ・クリニシャンも増えてきたが、数は少ない。

こういうことから、真のホースマン:人馬間に理想的な関係つまり完全なる信頼と馬が全く恐れがない状態を保てる者になる ために何が必要かということがわかる。トップクラスのクリニシャンたちをみれば、彼らがどれだけ、馬に優しくふるまうか、どれだけ 思慮深いか、どれだけ忍耐強いか、ということがわかる。馬はクリニシャンを恐れてはいない。しかし、クリニシャンたちが、 いかに首尾一貫しているか、断固とした態度であることか、どれだけ巧みに馬の動きをコントロールしているか、これらの ことに気づかねばならない。こういうことによって、クリニシャンは馬から尊敬・信頼を勝ち得ているのである。 それは完璧な尊敬・信頼であり恐れはゼロである。

19世紀の著名な調教師、デニス・マンジャー(Dennis Manger)が、良きホースマンが持つべき条件を次のように言っている。 触れたり感じたりするときの女性のデリケートさ、鷹の目、ライオンの勇気、ブルドッグの勇猛さ。

いま風にいえば、理想的なホースマンとは、女性的な面に共鳴できる男、男性的な面に共鳴できる女と言えるかもっしれない。 うまくコミュニケーションするには男性的な面と女性的な面の両方が必要なのである。

人は暴力にあきあきしている
ホースマンシップにおける革命がこの時期に起きたもう1つの理由は、人々が暴力に飽き飽きしていたからである。 20世紀の後半の1/3はかつてないほどに暴力が公然のものになっていた。 戦争、暗殺、レイプ、理由なき殺人、収監者による暴動、精神病者、家庭内暴力、車ですれ違いざまに銃で撃つ、 これらは、テレビの発明以来、まず白黒、そしてカラーへと変り、毎晩繰り返し繰り返し見せつけられてきた。 その時代は人類にとって最も暴力に満ちていたといえるか?むろん、そんなことはない。 ただ、暴力というものがこんなに身近に、個人的なことに感じられる時代はない。 ベトナム戦争の映像は特に残酷であり、そこから逃げ出すことはできなかった。 そこで、平和、愛、ハーモニーが求められたのである。 馬はアメリカに満ち満ちていた暴力から逃れる術であった。 馬を愛する人たちが暴力的でない調教方法に惹きつけられたのは正に当然のなりゆきである。

都市化
1923年、アメリカの人口の1/4は農業地域に住んでいたが、現在は2%以下である。 さらに都市住民は小さな町には住まず大都市(メガロポリス)に住んでいる。 20世紀初頭、アメリカにあるメガロポリスはたった1つ、ニューヨークであった。 現在は何ダースもの大都市がある。多くの都市住民は大地や動物の世界から隔絶されてしまい、 自然とはどういうものか、そこにある生と死はどういうものかということがわからなくなってしまっている。 かつては、都会の子ども用の教科書でさえも、農場にいる動物や農場の生活について描写していたが、 こんにちでは、子どもたちはそういうことにまったく関係を持てなくなってしまっているようだ。 多くの子どもたちは、動物というと、マンガのなかに出てくる動物を考えてしまう、 それは人と同じように考え話すという擬人化された動物である。 さらに、我々はイヌやネコなど家で飼うペットについて、 あたかも人間の代理としての役目を押し付けてしまっている。

獣医たちは気がついているが、何世代か前とは違って、こんにちのペットは人間の代理役つまり、子ども、友人、 パートナー、召使、そして時にはご主人様になってきている。馬は、かつては使役のための動物、移動手段であったが、 こんにちでは基本的にコンパニオンアニマルであり、人の精神生活のなかで過去とは違う役目を果たしてる。 こんにちの多くの馬好きの人たちが馬を単なるものとして扱うなど考えられないことであり、 そういう我々の社会は、この革命が起こる下地ができあがっていたのである。そこでは、馬は尊厳、配慮、同情 をもって扱われる。

人と馬の関係
馬に乗ることあるいは馬車を引かせること、これらはもはや馬と関わること(ホースマンシップ)における大きな目的では なくなっている。多くの人たちは馬との関係そのものが最も重要なものだと考えており、従って、 彼らは馬との関係それ自体により重点を置いた調教方法に関心を持っている。

カリフォルニアのクリニシャンでありカウボーイドレッサージュの創始者: Eitan Beth-Halachmyは次のように言う。 馬のオーナーの多く、たぶん大多数は踏歩変換(リードチェンジ)や収縮(コレクション)にほとんど興味がないであろう。 彼らにとって重要なのは、馬運車への乗り降り、グランドマナー、引き馬、じっと立っていること、こういう従順性なのである。 彼らが馬に乗るのは時々アウトドアを楽しむ程度であり、彼らに必要なのは大人しく、よく躾られた、安全・安心な馬なのである。

Beth-Halachmyは数十年前にイスラエルからアメリカに移住し牧場主となったのであるが、その彼がさらに言うには、 アメリカ社会の中である変化が起きており、その変化が、ホースショー、エンデュランス、ロデオ、 その他の馬関連スポーツで競技に関わっている者にも影響を与えている、ということである。
オーナーにとって大切なのは馬との関係である。

その傾向とは、より金を求める、より高揚を求める、そのために競争が激しくなっているということである。 この傾向は馬関連スポーツだけでなく、リトルリーグ、大学やプロスポーツなど、全てのスポーツ、レクリエーション活動に 見られる。というわけで、競技に参加する者は単に参加しているだけでは満足せず勝ちたがるのである。 そのためには、腕前(ホースマンシップ)を上げ、他の人馬に差をつけるため、お金と時間を惜しまないのである。 いろいろなクリニックに参加し、他の人馬に勝るものを得ようとするのである。

反対に、ショーホースの世界にはびこる不正行為(growing corruption)にいやけがさし、 それまでショーに参加していた多くの人たちが(ショーイングという)競技をやめてしまうということが起きている。 彼らは自分たちの馬と何か別のことで達成感を得られるものを見つけたのである。 つまりナチュラルホースマンシップにより深く関わるということである。 彼らはクリニックに参加し、ビデオテープ、本、雑誌を買い、この種のホースマンシップに関わる クラブやグループに加わる。そしてその情熱を発散するため、そこに関わっていることを示すため、ロゴTシャツやその他の品物をせっせと買う。クリニシャンは自分のビジネスを維持するため、さらに顧客を増やすためにそれら商品を売る。

ショーイングという競技は本来は馬の品種の持つ特性および調教に関する技術を改善するものであると考えられて きた古くからある競技である。そのショーイングから多くの人を遠ざけてしまったのは、その世界にある不正行為 (corruption)ばかりが原因ではない。多くの人が馬を飼っているが、そのなかで多くの人にとってより重要なことは、 ショーイングに出すようないい馬のオーナーの中の多くが、しばしば馬に対して残忍であり、時には法律で 禁止されている仕打ちをしているということである。残念なことに、そのような仕打ちはすべてのショーイング競技 においてなされている。

ショーイング競技に加わっている人の多くは、自分たちとは違う競技の世界でそのような仕打ちがあれば、 すぐさまそれを非難するが、自分たち自身が行なう同様に道徳的と言えない仕打ちについてはしばしば 無視するのである。ひとびとをショーイングの世界から遠ざけてしまう例をいくつかあげよう。

テネシーウォーキングホースは前肢を高く上げるが、その動作を極端にさせるために蹄が地面に触ると 痛みが走るように仕組まれることがある。このような残酷な仕打ちは州法で禁止されているが、 この華麗な舞(the Big Lick)を見た観衆は喝采を送り、大衆に迎合することで興行は成り立つ、 というわけで今だに行なわれている。

アメリカンサドルホースの場合は、蹄(蹄鉄)についてさらに残酷な仕打ちをされるが、さらに肢の動きを華麗に見せるためである。 目を大きく暗くやさしい感じになるように、そのために視覚の焦点が合わせられなくなっても、 しばしばアトロピン(拡張剤)が使われることがある。尻の穴のまわりに生姜を塗ることもある。 そのあたりがヒリヒリするので馬は普通の状態よりも尻尾を高くしているのである。

この種の仕打ちは、これら以外の品種による競技の世界にも広がっている。 例えばモルガン種もこのような種類の競技に用いられる

ハンターとジャンパーは、調教師によっては、いまだに棒で叩かれてバーを跳ばされている。 バーを飛び越えようとするとき、もっと高く飛ぶことを教え込むために、クルブシを叩かれる馬もいる。 鋲を植え込んだバーが使われたこともある。

馬場馬術においては、しばしば残酷といえる程度にまで強いコンタクトを求められる。

レイニングホースについて、功をあせる調教師の中には、手綱に電気を通したり、鋲のついた手綱を使ったり、 ハンドシェイク・ブザー(handshake buzzers)を使う者がいる。 馬に回転を教える際、生きたニワトリを馬の首を叩きつけるということをする者さえいた。

ウエスタンプレジャーホースについて、そのピーナツローラー(peanut roller)と言われる歩様は、 実際に働いている時の馬の歩様を「マンガ的に真似たようなもの」である。 そのような歩様をさせる訓練の中には虐待と変らないものがある。首を低くさせておくために、 前肢に過剰な負担をかけるので前肢に故障を起こす主な原因となると獣医たちは言っている。 幸いなことに、馬に対するこれらの残酷な仕打ちに対する一般大衆の「ノー」の声に反応して、 アメリカンプレジャーの世界では変化が起きている。

動物の権利を擁護する人々の行動主義
動物の権利を擁護しようとする動きは、我々が動物を使うとき、そのやり方あり方に変化をもたらしている。 この動きの中には狂信的な連中がおり、典型的な組織はPETA(People for the Ethical Treatment of Animal) であり、彼らに言わせると、はいかなる動物も人間によって使われてはならないらしい。 しかし、この極端な行動主義者たちによって我々の社会に変化が生じたという事実は残る。 牧畜、サーカス、動物園、動物によるショー、科学の実験施設、そして犬の繁殖施設などでは、 残酷な仕打ちがなされていたし、現在も依然としてそうである。

動物の権利を擁護する団体は、これらの問題を多くの者たちに知らしめてきたが、 自分たちの主張を通すために、しばしば極端に言ったり嘘をついたりしてきた。 そして最近の数十年の間に、動物の福祉向上ための多くの法律が議会を通過したが、 それらの中には論理的でないもの、長年にわたり野放しにされていたことに対する反動によるものもある。

動物の権利を擁護しようとする運動はたぶん、もっとずっと古い「人権に関する運動」にその起源がある。 その起源とは1215年、イングランドのKing Johnが署名したマグナカルタ(the Magna Carta)である。 世界のいたるところで人権の抑圧に反対する法律が整備されてきている。 子ども、女性、マイノリティー、障害者を保護する、そういうことが一般的に言われるようになってきている。 そういうわけで、かつては想像できなかったことを今は当然のこととして受け入れているという− 150年前のアメリカでは奴隷制度は合法だったのである−文化における変化を目の当たりにしているのである。

我々の社会一般に行き渡ったこういう行動規範は動物にもあてはまる。 かつて子どもや妻を殴るというのは当たり前に行なわれていたが、今では法律違反である。 むろん動物虐待も違法である。 こんにち「当たり前のこと=常識」と考えていることは、そんなに古くない過去において、アホな考えだったのである。 ゆっくりではあるが世の中は確実に変っている。我々は人を罰するために手かせ足かせをはめたり、鞭打つことはない。 異端を述べたり姦淫を犯したからとて、少なくとも我々の社会では、十字架にかけ火あぶりにしたりはしない。 これらの変化は倫理観において良い方向に向かっているし、動物に対する感情もやさしく同情的になっている。

ホースマンシップの革命に励まされホースショーに参加するようになった者もいる。

動物が代理人を立てて権利を主張する「権利」があるかどうかという問いは一先ず置いておこう。 動物には「その権利」があると主張するこれら行動主義者たちは、我々が、馬を含め、 動物を扱うその扱い方に良い変化があるように発言し行動してきた。 こういう世の流れが、ホースマンシップの革命が起こった時期が「この時期」であった原因の1つ であるということを認めねばならない。

ホースマンシップにおける革命が(起こってしかるべき過去にでなく)このように遅れて起こった 理由はいろいろあるが、それらは互いに関係している。 こんにちの馬のオーナーたちの教育水準と情報伝達の爆発的進歩は関係しあっている。 馬関連産業に対する女性の支配力・影響力の増大は、動物福祉に対して社会がどのような取り組みをするか ということに対しても密接に関係している。

ナチュラルホースマンシップに取り組む人の中には競技で勝つことが目的の者がいる一方、 同じ競技に参加するにしても、勝つためというのでなく、馬に対してより親切でやさしいという理由で ナチュラルホースマンシップに取り組む者もいる。