vvv 津別ホーストレッキング研究会(Eitan)
津別ホーストレッキング研究会 

少年の夢を現実に
A Boyhood Dream Fulfilled
2009/8 司馬 ドクター・ミラーTOP
Natural Horsemanship ExplainedはAmazon.co.jpにあります。
Natural Horsemanship Explainedの目次は[ここ]にあります。

エイタン(Eitan Beth-Halachmy)は1940年(現在の)イスラエルの小さな町、Rishon-Lezionに生まれた。 彼は5歳の時には乗馬をしており、馬が大好きであった。13歳の時、農業学校の生徒であり、寄宿舎で生活していた。多くの時間、 馬やラバを使いながら農場で仕事をし、仕事が終わると、馬やラバに乗って寄宿舎へ帰るという生活をしていたが、それ以外にも、 自由時間には馬やラバに乗っていた。学校としても、学校で使う馬とラバを生産し、育て、調教していた。

そんな時、初めてアメリカの西部劇映画を見て将来はアメリカでカウボーイになろうと心に決めた。 当時の多くの子供たちと同様、彼のヒーローはロイ・ロジャース(Roy Rogers)であった。 しかし、他の子供たちと違ったところは、エイタンは夢を実現したことである。


2年間、イスラエル・ナショナル・スタッドで働いた後、同スタッドのアシスタント・マネジャーになり、 種馬の訓練、厩舎管理をしたが、その間、チーフ・マネジャーの、元ユーゴスラビアの騎兵士官、ジョージ・アダム(George Adam)から、 古典的なヨーロッパのホースマンシップ、馬の行動について多くのことを学んだ。また、ハンガリー人で元サーカスの調教師であった レオポルド(Leopold)からも大きな影響を受けた。18歳の時、他のイスラエルの若者(男女を問わず)と同様、 軍隊に入り3年間パラシュート部隊に属した。

1961年、農場青年交換学生として初めてアメリカの地を踏む。 その年、ミネソタ州、ウエスト・ヴァージニアとカリフォルニア州の農場と牧場に滞在した。彼のホストファミリーとなった家では、 どこでも馬を飼っていた。そこでウエスタン式の乗り方を始め、いつの日かアメリカに戻り 少年の頃の夢を実現したいと思うようになっていた。

翌年、獣医を目指す学生として、ウイーン大学に入学した。その年から3年間、 スパニッシュ・ライディング・スクールの厩舎掃除夫として働いた。彼が言うには、 質問をしまくり、できる限り何でも見て、そして学んだ、まさにスポンジのように吸収しまくったということである。 辛抱強くあること、馬と人とのパートナーシップの大切さを学んだ。スパニッシュ・ライディング・スクールで、生涯 グルームとして働いたスタッフからは、馬に関わる仕事をするに際して、仕事に対して倫理感を持つことの大切さを学んだ。

1968年、アメリカに移住し生涯アメリカで生活することになる。デイヴィスにあるカリフォルニア大学に籍を置き、 動物学(Animal Science)と植物学(Plant pathology)を学んだ。その間、あらゆる機会を捉えて人の馬に乗り、 また彫刻の才能を伸ばすべく、彫刻、芸術の道も追い続けていた。というのは、 芸術家であるということは、生きていく上で1つの強み(取り柄)となり、創造性(力)を持つということは、 ものごとに有りがちな枠組みを超えた夢・希望を抱くことを可能にしてくれるからである。 もし馬と関わりを持っていこうと思うなら、こういう前向きな態度を維持し続けることは大変大切なことだ、 と言っている。

デイヴィスに住んでいた期間、ガソリンが1ガロンあたり28セントであった時代、 もろもろのサービスも仕事の一部であった時代のガソリンスタンドで働いた。また彼の芸術的作品を売ったり、 水泳プールの浄化装置を考案したり、前後に2つのエンジンを搭載した四輪駆動車も作った。

1984年、公に馬のトレーニングを開始する。クオーターホースがメインであるが、ポニー、ラバ、温血種を含む、 あらゆる種類の馬のトレーニングをし、また、ショーに出場することもした。その後、デイヴィスからソノマに移り、 クオーターホースのトレーニングをしていたが、1985年、シエラ・ネヴァダ山脈の麓にあるグラス・ヴァレーに移る。 以来、この地に住んでいる。彼の顧客の1人がモルガン種の馬を買い、トレーニングのために彼の厩舎に連れてきた。 以来、モルガン種はお気に入りの馬種になった。モルガン種を持っているアメリカ人のデビーと知り合い彼女と結婚する。

エイタンの業績は伝説的なものになっているが、その中でも、モルガン種に関してはよく知られている。 今までに、多くのタイトルを勝ち取っているが、モルガン種のショーマンとしてのものもある。 レイニング・ウエスタン・プレジャーの世界大会でも、オープンクラスで優勝している。 彼の名前は多くの人に知られているが、彼は人気のある調教師(クリニシャン)であり、多くのイベントや 、彼が名付けた“カウボーイ・ドレッサージュ”というイベントにおいてすばらしい演技を見せている。

カウボーイ・ドレッサージュというのはウエスタンの馬具を用いてヨーロッパ式のドレッサージュを行うことである。 馬も人も“ウエスタン風にドレスアップしてドレッサージュを行う”ということである。 演技の内容はヨーロッパのドレッサージュそのものだがルーズレインの状態で行う。 エイタンはa draped rein(だらりと垂れさがった手綱)と言っている。そのあり様は大変リラックスしたものである。 彼の扶助は大変わずかであり並の人の目にはわからない。多くの人が彼の演技に魅了されて、 彼に教えを請うのだが、彼は『私のやっていることそのものを教えることはできないが、あなたが、 あなたにとっては最高と言えるライダーになるための手助けをすることはできる。』と答えている。
[カウボードレッサージュの動画] Eitan Beth-Halachmy Cowboy Dressage MWHF 2008

この“たぐいまれな男”は『わたしは、他の多くのライダーから学び、多くの本を読み、多くのビデオを見て、 生涯を鞍の上で過ごしてきたが、馬と共に生活してきたことが一番重要なことである。』と言っている。さらに、 『馬たちは他の何よりも誰よりも多くを教えてくれた。最近は、個人的に教えたりクリニックを開いたりしているが、 それらの人たちから、それらの人たちが何を必要としているかを知ることから多くを学んでいる。 彼らの発する質問を聞くことによって深く考えるようになったし、それらの質問への答えを探そうと努めるようになった。』とも言う。 彼は『ウエスタンとヨーロッパの違いなど表面的なもので、どちらも馬と言う共通の生き物を相手にしているのだ。』と言っている。

ホースマンシップに芸術と科学の両面があるとすればエイタンは芸術家であろう。彼は才能あるビデオ撮影者であり、 彼と彼の妻のデビーがプロデュースしたカリフォルニアのグラス・ヴァレーにある彼のランチ、Wolf Creek Ranchで撮影された カウボーイ・ドレッサージュのビデオは傑作である。そのビデオを見た人たちは、そこで使われている音楽、 その景色・風景、すばらしい馬たち、すばらしい演技、それらの圧倒的な美しさに感動し涙するのである。

2006年9月、エイタンはカウボーイ・ドレッサージュを披露すべくドイツ・アーヘンで開催された国際馬術大会に招かれた。 彼の演技を見ようと会場には60000人がつめかけた。彼の出で立ち、ウエスタンサドルにカウボーイハットにもかかわらず、 人々は目の当たりにした演技にその圧倒的なすばらしさを認識したのである。エイタンは66歳にして、 ついに世界的な認知を得たのである。ヨーロッパのホースマンシップを基本として育った男が、 今は世界が認める最高のウエスタン・ホースマンなのである。なんと心躍ることではないか?

エイタンとレスター・バックレイの生い立ちは何と違っていることか!これから彼らがどのようにして似通ったゴールにたどり着いたかについて知ることになる。 それについては次章に書く。たぶん、それはなるべくしてなったということであろう。 2人とも馬に対する並外れた情熱を持っていたのである。 さらに、2人ともホースマンにとって、 その卓越した技量を証明するために必要な身体的・精神的に必要な要素を持っている。


身体的な器用さ、バランスのよさ、反射神経のよさ、観察眼のよさ、感情移入できること、辛抱強いこと、繊細であること、 心根がよいこと、他者に対して親切なこと、これらは最高のホースマンにとって欠くべからざる要素である。 2人共すばらしい技量の持ち主である。