津別ホーストレッキング研究会 

モンティーからの手紙
Update Information
2009/8 司馬 ドクター・ミラーTOP
Imprint Training of the newborn foalはAmazon.co.jpにあります。
Imprint Training of the newborn foalの目次は[ここ]にあります。
Imprint Trainingは1991年初版で2005年に第22版が出版されました。司馬の持っているのは第22版。 第22版にアップデートとして、1996年のWestern Horseman Magazineの記事が転載されていました。 その記事とはMonty Robertsが ジェイコブ氏に宛てた手紙です。以下、その内容です。

ジェイコブ氏へ
ジョッキー・クラブより、牝馬「ラドラブル」に関する資料を受け取りました。 そのラドラブルが、Imprint Training の研究対象となった馬です。 まずご承知おき頂きたいのですが(当然ながら)我々が所有している繁殖牝馬達が神経質であったり全く手におえない馬達である、 ということをお伝えしたいと考えているわけではありません。もし非常に扱いにくい母馬から生れた子馬に対して"刷り込み"をし、 その結果が満足のいくものであれば、普通の気質を持った母馬から生れた子馬の場合は(なおさら)満足のいく結果になるであろうと推測できるからです。

研究対象となった牝馬ラドラブルは1980/4/8に生れました。父親はナチュラル、母馬はドルス。 ラドラブルは0〜1歳の間(Yearling)、非常に扱いにくい馬であり、有能なホースマンに扱われていたにもかかわらず、 ブレーキングの過程においても、扱いにくいことに変りはありませんでした。結局、厩舎の中で壁を蹴って 後脚にひどい怪我をしてしまいました。 怪我が癒え(その扱いにくさは変りませんが)なんとか調教を受けレースに出ることとなりました。 しかしレース場への移動中に癇癪を起こし馬運車を壊しそうになったほどです。 その際、また脚に怪我をしてしまい、獣医の判断によって競走馬としての生命は終わってしまいました。 (以後、繁殖牝馬となる)

繁殖牝馬としての経歴
1983年に牝の子馬を出産。子馬は1984年に蹄を切られる際に暴れて死亡。
1984年に子馬を出産。子馬は矯正不可能と判断され安楽死の処置。
1985年に雄の子馬を出産。子馬はフェンスに激突して死亡。二人のホースマンに扱 われたが二人とも優秀なホースマンと聞いています。その二人はそれ以前の2頭の子馬を扱っていた人とは違う人です。
1986年に雄の子馬を出産。この馬はまともに調教が進みレースに出て勝ちもしましたが、1989年、 3歳の時点で、気むずかしく危険であるとして安楽死。扱っていたホースマンは、その前の3頭の子馬を扱っていた人とは別人です。
1987年に牝の子馬を出産。その子馬は1988年に死亡。放牧地で他の馬に襲いかかり、その後、 人にも襲いかかったとのことです。聞いたところでは、興奮のあまり心臓発作を起したようだとのことです。
ここまでの5頭は刷り込みなし。すべて死亡あるいは安楽死。
ここからの6頭は摺り込みをされている。
1988年に雄の子馬を出産。ベルディキオを名付けられたその馬が「刷り込み実験」の対象となりました。 この時"刷り込み"を行った人は、刷り込み作業に熟練した人ではありませんでした。当時のやり方と今現在のやり方を比べれば、 たぶん半分以下の効果しかなかったと思えます。しかし、この馬は死ぬこと無く調教を受け北米のレースで3度勝ちました。 聞くところによると、その馬は現在も生きており気質も普通の馬と変らないとのことです。
1989年に牝の子馬を出産。ジュールと名付けられ、生れた直後から、 前の時と比べると数段洗練されたやり方で刷り込みをされました。普通に調教され一度だけレースに出ましたが、 競走馬としての強さはなく、馬術の世界(Show ring)に転向し競技を行っており性格も良いと聞いています。
1990年に牝の子馬を出産。アドラブリーと名付けられ普通に調教され成績も良く今も生きています。 刷り込みは、生れた直後から1時間。前の2頭の時よりもさらに洗練したやり方でした。
1991年に雄の子馬を出産。アウトザドールと名付けられ、普通に調教され成績も良く性格も良いと聞いています。 刷り込みは生れた直後に行われ、さらに1週間以内に2回行われました。
1992年に牝の子馬を出産。ローレと名付けられカリフォルニアで調教中です。 私が考えるに、この子馬は最高、最新のやり方で刷り込みをされました。18ヶ月の時に我々の牧場に来て調教を受けています。 才能のある馬で、初期調教も順調に進みカリフォルニアのKjell Zvaleに競走馬として売却されました。成績も良く、 40000ドルを稼ぎました。現在サンフランシスコで調教されていますが、彼女に接する全ての人から、おだやかな良い性格だと 言われています。
1993年に栗毛の雄の子馬を出産。アウトローと名付けられ、現在、我々のところで調教されています。 あらゆる点において全く普通です。

ここに述べた以上に刷り込みの効果を証明する事実があるとは想像できません。 アドラブルは自らの問題のために競走馬としての役目を果たせず繁殖牝馬となり、 まず5頭の子馬を生みましたが、5頭すべて非業の死を遂げました。 その後に生れた6頭については刷り込みが行われ、6頭すべて生存したばかりでなく、 最初の5頭と比べその性質の違いは劇的なものでした。この歴然たる結果を凌ぐものがあるとは考えられません。

モンティー・ロバーツ
刷り込み手順の要約をご覧ください。