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1983年に牝の子馬を出産。子馬は1984年に蹄を切られる際に暴れて死亡。 |
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1984年に子馬を出産。子馬は矯正不可能と判断され安楽死の処置。 |
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1985年に雄の子馬を出産。子馬はフェンスに激突して死亡。二人のホースマンに扱
われたが二人とも優秀なホースマンと聞いています。その二人はそれ以前の2頭の子馬を扱っていた人とは違う人です。 |
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1986年に雄の子馬を出産。この馬はまともに調教が進みレースに出て勝ちもしましたが、1989年、
3歳の時点で、気むずかしく危険であるとして安楽死。扱っていたホースマンは、その前の3頭の子馬を扱っていた人とは別人です。 |
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1987年に牝の子馬を出産。その子馬は1988年に死亡。放牧地で他の馬に襲いかかり、その後、
人にも襲いかかったとのことです。聞いたところでは、興奮のあまり心臓発作を起したようだとのことです。 |
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ここまでの5頭は刷り込みなし。すべて死亡あるいは安楽死。 |
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ここからの6頭は摺り込みをされている。 |
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1988年に雄の子馬を出産。ベルディキオを名付けられたその馬が「刷り込み実験」の対象となりました。
この時"刷り込み"を行った人は、刷り込み作業に熟練した人ではありませんでした。当時のやり方と今現在のやり方を比べれば、
たぶん半分以下の効果しかなかったと思えます。しかし、この馬は死ぬこと無く調教を受け北米のレースで3度勝ちました。
聞くところによると、その馬は現在も生きており気質も普通の馬と変らないとのことです。 |
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1989年に牝の子馬を出産。ジュールと名付けられ、生れた直後から、
前の時と比べると数段洗練されたやり方で刷り込みをされました。普通に調教され一度だけレースに出ましたが、
競走馬としての強さはなく、馬術の世界(Show ring)に転向し競技を行っており性格も良いと聞いています。 |
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1990年に牝の子馬を出産。アドラブリーと名付けられ普通に調教され成績も良く今も生きています。
刷り込みは、生れた直後から1時間。前の2頭の時よりもさらに洗練したやり方でした。 |
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1991年に雄の子馬を出産。アウトザドールと名付けられ、普通に調教され成績も良く性格も良いと聞いています。
刷り込みは生れた直後に行われ、さらに1週間以内に2回行われました。 |
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1992年に牝の子馬を出産。ローレと名付けられカリフォルニアで調教中です。
私が考えるに、この子馬は最高、最新のやり方で刷り込みをされました。18ヶ月の時に我々の牧場に来て調教を受けています。
才能のある馬で、初期調教も順調に進みカリフォルニアのKjell Zvaleに競走馬として売却されました。成績も良く、
40000ドルを稼ぎました。現在サンフランシスコで調教されていますが、彼女に接する全ての人から、おだやかな良い性格だと
言われています。 |
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1993年に栗毛の雄の子馬を出産。アウトローと名付けられ、現在、我々のところで調教されています。
あらゆる点において全く普通です。 |