目次へ戻る THE SOUL OF A HORSE
馬の心を知る
津別ホーストレッキング研究会

第29章 Empty Stalls ... Again
      (そして馬房は再び空になった)


午後おそい時刻だった。 馬房のある建物の屋根は赤く壁は白く塗られたこざっぱりしたものだ。 キャサリンと私はその建物にあるフロントポーチに座りながら遠くを眺めていた。 太陽は山々の峰から西に沈んでいくところだった。馬小屋にある仕切りのうち広い方はさらに2部屋に仕切られているので、 全部で3頭分、3部屋あることになる。
『みんな空っぽね。』キャサリンが言った。
『2−3頭いて、中で行ったり来たりしていたら楽しいんじゃない?』
『そんなことを言ってたときもあったね。』私は言った。
『絵ハガキのようにね。』2人は顔を見合ってニヤッとした。
『本当のところがわかっていなかった。行ったり来たりを見て喜んでいた。』
『ほんとにね。わかっていなかった。』キャサリンが言った。
『あんなにアホだったなんて、考えられないね。』
『アホということじゃないわ。無知だったのよ。』キャサリンが訂正した。
『ずいぶん昔のことだ。』
『もうじき2年になるわ。』キャサリンがクスッと笑った。
彼女がワイングラスを持ち上げ私のグラスとでチャリンと鳴った。
『(わたしたちのやってきたことは) じょうできよ!』とキャサリンが言った。
わたしたちのところにやってきた最初の3頭は何カ月かの間、この馬房を使った。 3頭とも蹄鉄を付け、テーブルの高さに置かれたバケツからペレットを食べ、草はさらに高い位置に置かれた入れ物から食べていた。 動き回る必要、理由もないので、一ケ所にじっと立って食べていた。じっさい、一日中、一ケ所にずっと立っていた。 行くところもなかったし。でも、3頭は群らしい時を味わうことはできた。まあ、それらしいということだが。 3つの部屋(仕切り)は壁でふさがれていなかったからだ。なので、3つ並んだ真ん中の部屋にいる馬は、両側の馬が仕切りの近くまで来ていれば、 その馬を軽く咬んだり、咬まれたりということはできたのである。そうできるように、わたしたちが作ったわけではない。 この馬房を買ったとき、そのように作られていたのだ。幸いなことにバーン(barn:狭い馬房ということだろう)はなかった。 かれらがそういうところに入れられたこともない。しかし、草地、放牧地というものもなかったのだ。 なので、3頭が運動できるのは、敷地にある狭い馬場へ連れ出したときだけだ。肢巻は買ってあった。馬着も買いそうになった。 つまり、2人は典型的なオーナーだったということだ。ほとんど、そういう類に属していた。

モンティー・ロバーツのあの記事にたまたま出会って救われたのである。 馬たちに対して、人間を彼らの仲間として受け入れるか、リーダーとして受け入れるか、それを彼ら自身に選ばせることによって、 それぞれの馬と本物の関係(生きもの同士の関係)が生まれるということである。 ひんぱんに、そばに行き、話しかけ、なでてやる。べつに乗るわけでもなくても、とくに目的がなくても、連れ出して、一緒に歩く。 かれらがお互いに話している様子を見て、かれらの使うことばをどんどん覚えていく。こういうことのすべてが、われわれに与えられた 責務となったのである。それは重大な責務である。キャサリンと私は、かれらが健康で幸せであってほしかった。ただ乗るために 飼うというのではなかった。そのためには、われわれには責任があると思っていた。というわけで、 知識を求める旅が始まったのだった。馬を育てる、教育するということについては、いろいろな考え方、やり方があるということは 最初から気づいていた。なので、モンティー、クリントン、パレリ、いろいろな本を読み、DVDも見てきた。馬に関する雑誌も複数 購読していた。

最初に届いた郵便物の中に「蹄鉄を履く・履かない」ということについての記事があった。それを読んで唖然とした。 人間が作った鉄の靴を履かせないでも大丈夫なように(馬というものが)創られているとは思ったこともなかったからである。 ベアフット(蹄鉄を履かせないこと)についてあれこれ読むことになった。ナチュラル・フーフ・ケア・プラクティショナー (削蹄だけする専門家)であるピート・ラミー(Pete Ramey)とジェイミー・ジャクソン(Jaime Jackson)の研究について 熱心に読んだ。2人は共同で野生馬の蹄に関する研究をし、野生馬の蹄のようにベアフットホースの蹄の削蹄を数十年、 自らやってきた経験があり、それらを元にした多くの成果をまとめた資料を持っている。

いまでは、わたしたちの7頭(そう、マウス嬢も加わり7頭だ!)は野生馬の蹄のように削蹄して、すべてベアフットである。 ベアフットで元気に動き回っている。アリーナ(馬場)でも、外乗でも、ふつうの(舗装)道路でも、どこでも。

激しい動きを要求される競技馬の場合、自然界では遭遇しないストレス(圧力、応力)にさらされ、それに耐えねばならないので、 蹄鉄が必要という者もいる。激しい動きを要求する競技の主催者たちがそう考えたとしても、そんなことは関係ない。 そういう考え、主張は、まず、なぜ、そんな競技を馬にさせるのかという疑問に対してまともに答えていない。しかし、 より重要なことは、自分の馬をベアフットにしている者たちが、レイニングだろうと、ジャンプだろうと、競馬だろうと、 他のどんな競技だろうと、馬には蹄鉄が必要だという主張を論破してしまっているということだ。

しかし、蹄鉄なしで競技に勝つことができるのか?
いやはや、けっきょくのところ、ベアフットにするのは勝つためなのだ。

この質問に対する答えは[YES]である。The Horse's Hoof Magazineという雑誌の毎号に、じっさい、あらゆる分野の競技において、 ベアフットの馬が勝っている事実が報告されている。もっとも新しい号には、High Flying Princess(という名の馬)のことが報告されている。 この馬はベアフットにした最初のシーズンに、バレルレースで6回優勝している。ピート・ラメイや他の者たちと同じく、 ヒューストン在住のトリマー(削蹄師)であるエディー・デュラベック(Eddie Drabek)も同じような経験、ストーリーを持っている。

しかし、ジャンパーの場合、踏み切る時、しっかり地面をつかまなければならないから、蹄鉄に(さらに)スパイク、 すべり止めが必要だろう?

この疑問に対する答えも「その必要はない」ということだ。 The Horse's Hoof Magazineの2007年の秋期号に、イギリスのthe Horse's First Racing Clubに関する記事が載った。 そのクラブ主催の競技に出たハンターもジャンパーも、すべてがベアフットだったということだ。

しかし、なめらかにストップさせるには蹄鉄が必要でしょう。蹄鉄はなめらかですべりやすいから。

ということは、長い距離をすべらせるためなら後肢の血行が悪くなってもかまわないということか?

ふ〜む、それはちがう(まちがっている)のではないか・・・

ベアフットに関する理論、知識はじゅうぶん頭に入った。あとは実行である。 わたしたちは全ての馬の蹄鉄を外した。それにとどまらず、さらに先へと進んだ。馬にとって「動くということ」がどういう 意味を持つかということについて深く深く研究した。人間による干渉がないとき、馬が自由にしているとき、 馬の持って生まれたシステム(生体の持っている機能)がどのように働いているかということについて研究した。 馬は、つねに地面にあるもの、地面の高さから直接(草を)食べているが、そのことによってどういう益があるかという ことについても。このように、どんどんと続いて(増えて)いった。

人間は(同じ人間であるのに)なぜこうも違うのだろうか? ほんとうは、人間はそんなに(他者と)違ってはいない。世界中に人間はたくさにるが、キャサリンと私がやっていることと大したちがいはない、 似たり寄ったりであると思っている。たぶん、他の人たちは、私がそう考える以上にそう思っているものだ。 しかし、それでも、キャサリンと私(ベアフットを支持する者たち)はマイノリティーである。 マイノリティーとマジョリティーのちがいは何か?マジョリティーは、ほんとうは馬のことを大切に思っていないということだろうか? そうとは思わない。わたしたちも馬を大切に思っているが、それは、はじめて出会って、かれらを選んだそのときから大切に思っていた。 しかし、(馬を飼い始めた)その当時、わたしたちは知っているべきことを知らなかった。無知であった。 そして、なぜそうだったかといえば、わたしたちがものを尋ねていたいた者たちというのは、私たちと同じく無知な者たちだったからだ。 わたしたちも、わたしたちがものを尋ねていた者たちも、すべてまちがったことをしでかしていたのである。 ものごとがほんとうに変わりはじめたのは、つまり、私の馬に対する関わり方、考え方、姿勢というものがほんとうに変わりはじめたのは、 単に馬を大切に思う、大切に扱うというところを越えはじめたのは、馬が自分の意志で選ぶということを許されたときである。 選ぶことを許され、そして、わたしたちを受け入れるという判断をしたときである。 馬に対して責任があるという思いがほんとうのものになったのはそのときである。そのとき、初めてわかったのだった。 この馬は「わたしは貴方を信頼する」と言っているのだということを。そして、そのとき、私は彼に約束した。 おまえのそばで、おまえにとって良いと思うことをしてあげると。おまえが必要とするものは、私自身の希望を叶える前に、 おまえに与えようと。

ドクター・マットはこう言った。 つい最近まで、馬は単なる役畜であったと。それは正しいが、私は、かれらの多くは未だに同じであると思う。 苦役の内容が変わっただけだ。スキをひいたり、馬車を引く代りに、ジャンプしたり、レースしたり、手綱をぎゅっと引っ張られながらバレーを 踊ったりという苦役である。これらのオーナーたちが、自分たちの馬を大切にしないといっているわけではない。 大切にしていると思う。大切にしている者もいると思う。しかし、モンティー・ロバーツのウェブサイトに、あるできごとが詳しく書かれている。 世界で有名なトップクラスのドレッサージトレイナーの1人が自分の馬とジョイン・アップしたときのことである。 彼女(そのトレイナー)は他の多くのトレイナーのように、彼女もそうしていた、手綱で馬を抑えるやり方を完ぺきにやめてしまったのだ。 そして、その後、今も、彼女の馬たちは自由を与えられ、演技を続けている。イギリスにおける、Horse First(まず馬のことを第一にせよ) のことを思い出してほしい。あのレースでの勝利のこと、ハントクラブでのことを思い出してほしい。 アメリカの、レイニング、カッティングのトップトレイナーたちがベアフットにしていることを。オーストラリアのクリントン・アンダーソンもそうだ。 馬のことをほんとうに大切に思って、必要な知識を得るためにじゅうぶん時間をかければ、おどろくほどいろいろなことを 馬にしてあげられるようになる。彼は健康で、幸せに、長生きできるようになるのだ。

多くの人に知ってほしいことがある。過去5年間でアメリカにおける馬の数は1000万頭に増えた。 ほんの数年間で300万頭も増えたことになる。増えすぎたことで市場では供給過剰となり余った馬たちは満足な世話が受けられずにいる。 最近の予測では、(第二次大戦後に生まれた)ベビーブーマーの後の世代の人たちで、ベビーブーマーと同じ行動をする者は少なく、 これから後、馬の売れいきは悪くなるだろうということだ。Horse & Rider(雑誌)の予想では、high-end breeding(血統の良い、 特定の競技に向いた、そして高価な馬ということだろう)の人気は急激に下がり、市場で生き残るのは、ファミリーホースだけだろうということだ。 ベビーブーマー、かれら自身、馬を持っている者たちは、自分の孫たちにも馬を好きになってほしいと思っている。 そのためには、落ち着いていて、すっ飛んで行かない、子どもの相手をしてくれるような、そういう馬が必要なのだ。 つまり、人間を仲間として受け入れ、リーダーとして信頼する、そういう選択をした馬である。

テキサスでトレイルライドしたときに出会った年とったカウボーイがキャサリンに言ったのは、 馬はみんな自分の(馬の)群に戻りたがっているだけだということだが、キャサリンは彼に、彼女自身が群の仲間であることを 証明した。群の仲間になるために必要なことは、馬と一緒にいる、馬のために時間を費やすことである。そして、かれらが考えるように 自分も考えることができるようになるために努力することだ。そして大切に思い、世話してやることだ。

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