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Natural Horsemanship Explainedの目次は[ここ]にあります。
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前著ホースマンシップにおける革命(The Revolution in Horsemanship)でリック・ランブ(共著者)と私は
「この技術的な変革は人間の行動にも変化をもたらすだろう」と述べた。
『10章 It's Not Just About Horses 馬についてだけいえることではない』
そういうわけで前著には『それが人間に意味すもの And What It Mean to Mankind』というサブタイトルを付けた。
馬や馬に関わる諸々のこと(ホースマンシップ)が、こんにちの社会に重大な意味を持つと声高に言うほど、
ランブも私も能天気(ナイーブ)ではない。しかしながらナチュラルホースマンシップの本質は「人と人の関係」についても必要かつ
重要な部分を含んでいる。
馬と人ほどその性質が本来相容れないものであるというものはない。
その違いを動物学的見地から考察してみよう。
人はハンターである。まさにハンターなのであるが、それは、ライオン、虎、鷹のように肉食動物だからではなく、
人は論理的にものを考える能力、道具を扱える構造を持つ身体を与えられているからである。
人は立って歩くことができるので道具を使うための手を自由に使うことができるのである。
手には機用に動く指があり、それらの指と親指とで物を掴むことができるのである。
これらの特質によって人はおそるべきハンターたり得るのである。
一方、馬は究極の被捕食動物といえるであろう。犬族や猫族のような大型肉食動物の餌となる草食動物は
たくさんいるが、それらとは違い馬は、角を持った種である牛、羊、山羊、アンテロープなどが持っている武器を
持っていない。サイやカバや象でさえライオンの餌食になることはあるが、彼らが持っているおそるべき武器に
ついて考察してみよう。
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同じ名前(シ−ザー)の2頭のモルガン種に乗る獣医学の学生である2人のボブ・ミラー。
(左の大きなシーザーは右の小さなシーザーの父親である)我々(2人のボブ)は夏の間、
カウボーイとして働いた。この写真は1954年、雄の子牛のローピング大会(a steer roping competition)出場の時のものである。私が乗っている馬(右)はハミなしである。ロデオ競技の時も無口(halter)のままで参加していた。
これはホースマンシップの革命が始まる20年も前のことである。
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これらの被捕食動物はみな走って逃げるが、防御のために角や牙を使うこともできるし実際に使って防御する。
しかし馬はまさに走って逃げる動物なのである。群れの一員である馬は、捕まって食われるかもしれない状況
(見たり聞いたり触ったりという刺激)に接すると、本能的に走って逃げるのである。
ライオンは背の高い草に隠れて用心深く草食動物に向かって接近していくが、
その草がたてる音は馬に危険を知らせ警戒行動をさせるのである。
風が吹き木の葉や草が動いたり、飼葉の山にかぶせてあるシートが大きく波打ったり、そういう日には、
馬とくに若く経験の浅い馬はより落ちつかず不安がつのり、おどろいてぱっと横っ飛びに跳ねたり、ある物や場所に
近づこうとしないのは、こういう馬本来の性質によるものである。
そういうわけであるから、人が馬が理解するボディーランゲージを用い、馬の心的特質・知性・知力(メンタリティー)や
ものごとに対する反応のし方を理解して接すれば、馬が人(彼または彼女)を、A)リーダー、B)友、C)信頼のおける仲間、のいずれかとみなすようにすることができ、人と馬の間にすばらしい「きづな」(bond)が生れる。
前著で述べたように、まったく人に接触したことがないムスタングでさえ、
ナチュラルホースマンシップのやり方を使えば、捕まえて数時間のうちに従順にし騎乗することができるのである。
かつては、ロープでひっぱり、抑えつけ、耳に噛みつき、目隠しをし、へとへとになるまで跳ねまわらせ、
最終的に降伏させるという暴力的で残酷なやり方で行なわれていたことを考えれば、なんと注目すべきことであろうか。
かつての方法が使われていたき、どれほどの馬と人が傷ついたり死んだりしたことであろうか?
そこにはどういう心理的影響があったであろうか?
相手が馬だろうと、他の動物だろうと、あるいは人同士であっても、相手から従順性を引き出すには2つの方法がある。
無理強いすることと説得することである。人間の歴史においては両方とも使われてきた。
無理強いするためには、力を見せつけ脅すか、実際に物理的力を使うかである。そこには効果があるか?
確かに効果がある。しかしそれは文明化した今日的やり方であろうか?
説得による場合、互いの意思疎通を図るという技術(art)が必要である。
そのためには心理というものを理解し活用する必要がある。
人の行動であれ動物の行動であれ、心理をつかれれば、反感やうらみを持ったり、恐れをいだいたり、
不信感を持ったり、そういうことなしに相手の望む・意図することをするのである。
そこがナチュラルホースマンシップの原理原則が重要であると指摘する所以であり、
人と馬の関係を超えたところでも重要なことなのである。
初期のクリニシャン(ナチュラルホースマンシップのクリニックを行なうようになったのでクリニシャンと言われるようになった)
たちが、ナチュラルホースマンシップを体得するために、
いかに自己を律し、感情のコントロールし、ことに集中しなければならなかったかということを知らねばならない。
これらの男たちは若く、実際にカウボーイとして働いていた者たちであり、太平洋に面した北西部から現れた。
「マッチョ、かっこいい!」というカルチャーがある。彼らのほとんど全部といっていいが、彼らは、あちこちで行なわれる、
馬から放り投げ出されるのはあたり前の荒っぽいカウボーイのスポーツであるロデオ大会をはしごするベテランの馬乗り
だったのである。そのような彼らが、馬に力で向かったりせず、腹を立てたりせず、急くこころ・欲求不満を抑え、
辛抱強くなければならない、そのためには、人としてどれほどの特性・才能、献身的なこころが必要だったことか。
そういうわけで、すべてのクリニシャンが、馬たちに教えられたことによって家族を含め自分を取り巻く人たちとの人間関係が
良くなったと言う。私自身を例にして話そう。私はつねに動き回り、せわしなくしていたが、馬が辛抱強くあるべきことを
教えてくれた。必要な時間をかければ、それが最短なのだということを学んだ。私はたいして注意深い性質ではない。
馬たちが、1頭の馬(個体・個人)に注目し、その馬の行動の中に見られる微妙な違いが何であるか理解できるよう
にしてくれた。
私はいつも人に親切で寛大であるが、その性質は馬たちによってさらに強まった。
というのは馬たちは私が親切で寛大であるということをわかってそれに応えてくれるからである。
私はつねに争いをしないようにしてきたが、馬たちは、互いの違いの
ために争うより話し合いの方がずっと優れていることを証明してくれた。人間の犯してきた戦争のことを考えてみるがいい。
殺し合い、破壊し、被害を被り合い、その果てにやっとテーブルにつき、妥協の話し合いを始めるのである。
しかしながら私は不戦論者ではない。もし相手が話し合いを拒み武力にうったえるなら自衛しなければならない。
第2次世界大戦を戦った者として、時には力が唯一の選択肢であることを承知している。
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Chris Cox..おどろくべき才能のホースマンでありクリニシャン。
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ホースマンシップは大昔からある技術であり、数千年にわたり開発されてきた。
たしかに、過去において、いま我々がナチュラルホースマンシップと言っている方法を用いた天性のホースマンたち
が存在するが、当時のホースマンたちはそれを受け入れなかったし、それによって自らが変ることもなかった。
今この時点から、説得という方法がホースマンシップのルールとなるであろう。
無理強いというやり方は、その人の性格、知性、気質がナチュラルホースマンシップを受け入れないという場合、
相変わらず方法の1つとしてありつづけるだろうが。
私の見るところ、この革命には2つの側面があると考える。
どちらも新しいものでもなく、過去にも用いられてきたものだが、
従来の新馬調教方法および従来の一般的な調教方法から、これら新しい方法に完全に変えてしまうという
ことこそ革命的なのである。その2つの方法とは:@生れたての子馬(foal:1歳以下)を調教すること。
A大人の馬の調教にナチュラルホースマンシップを用いること。
この2つは違った考え方(概念)によるもであり、それぞれ別のものである。馬という種は早熟であり、後章で述べるが、
幼馬(1歳以下)の時期に、その時期以降で学ぶよりずっと多くを学んでしまうのである。しかし生れた直後に調教する
(人に慣らす)ことができ、それによって後々まで人を安心できる・信頼できる対象と考えるようになるのである。
その後、成馬になってからは、従来の(成馬の)調教方法で調教することができる。
これとはまったく逆の方法もあり得る。幼馬のときはほんのわずかの調教しかせず、あるいはまったく調教せず、
あるいはもっとずっと後になるまで調教せず、あるいは成馬になるまでまったく調教せず。
そういう場合でも、ナチュラルホースマンシップによって調教すればちゃんと役に立つ馬にすることができるのである。
これら@Aの方法はそれぞれ別々のものであるが、もっとも効果的なのは両方用いることである。
まず、生れた直後できるだけ早い時期に調教し(人に慣らし)、人が望む好ましい行動をするように躾るのである。
その後、その基礎の上に、ナチュラルホースマンシップを用い、成馬となった若馬に今後の仕事をこなす上で
必要な準備をさせるべく調教を行なうのである。
人と同じように馬も一生を通じて学び続ける。
捕らえられた野生のムスタングは自分が安全であるということを知り、有用な乗用馬となる。
人に扱われることなしにかなりの年齢になった馬でも従順になり信頼のおける乗用馬になり得るし、
実際なってきた。しかし馬がもっとも良く早く学習するのは生まれて数日間そして数週間の間であるという
事実を無視するということは、科学的に裏付けられた事実を無視するということであり、
旧来のやり方に頑固にしがみつくということである。
Dr. Patricia Luttgenはコロラド州、レイクウッドに住む獣医であり、温血種の馬を自ら育て、調教し、乗っている。
彼女は長年にわたり、生れたての子馬を刷り込み(インプリント・トレーニング)により調教し、いつも良い結果を
得ている。あるとき、ある雌の子馬をインプリント・トレーニングした後、そのまま何もせずほっておいた。
その雌馬は何の調教もされないまま12歳になってしまったのだが、彼女は、まずサーシングル(調馬用腹帯)を付け、
次に鞍をのせ、ハミをかませというように仕度をしていったが、何の問題もなかった。そしてその馬に騎乗してしまった。
いろいろな家畜がいるが、馬ほど学習速度が早く、記憶力に優れたものはいないのである。
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Patricia Luttgen,獣医学博士と彼女の馬、Trakehner種の雌馬、Mandalina。
Mandalinaは生れてすぐに刷り込みを行なわれ、グランドワークをされた後、
騎乗されることなく・・・そのまま12歳になった時、何の問題もなくLuttgen博士により騎乗された。
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さてここで再び言いたいことは、我々が学び取らねばならない重要なことは、
この事実をどのように馬に使うかということでなく、人についてどのように当てはめて考えるかということである。
馬ばかりでなく我々が接するすべての種について言えることだが、脳の中には、ものごとを学ぶにあたって、
最も重要であるという時期がプログラムされているが、その時期とは若いうちなのである。
猫族、犬族、そして人といった種は馬のように早熟(precocial)でなく、成熟が遅い(altricial)種であって、
学習速度が速くかつ学んだことが生涯のものとなる、そういう期間は長く、学習はその間に徐々に進行するのである。
子犬の場合、その期間は6−16週間であろう。哺乳類のなかで最も長命な人の場合、
成熟はゆっくり進行し、学習に関して重要な期間は何年にもなる。
早熟な種では、生れた子どもは生きぬくためにすぐに母親そして群れに従って行動しなければならない。
生れたすぐ後のわずかな時間に重要なことを学習しなければならないのである。
実際、学習は生れる前、胎内ですでに始まっているのが確認されている。
例えば胎児は胎内である種の音を聞き分けることを学んでいる。
がちょう、あひる、うずら、七面鳥、羊、牛、鹿、山羊−そして馬−(すべて肉食動物の被捕食動物である)
はみな早熟な種である。
早熟な種であれ、そうでない種であれ、ものごとを学習する重要な時期というのは幼児期および子どもの頃である。
行動科学(behavior science)の分野で扱われるこれらの現象は近年ここ数十年の間にわかってきたものである。
この知見を使っていろいろな動物に関しておどろくべき成果をあげているということは興味深いことだ。
馬は生後すぐに、ものすごくたくさんのことを学んでいる。家畜の生産業者は、単純化されているが、
同じ技術を使って人が望む扱いやすい動物を生産している。犬の訓練師は、従来は成犬になってから教えて
いたものを子犬のうちに教えるようになっている。野生動物の調教者は、早熟な種の生れたての子を訓練して
以前は不可能と考えられていた成果をあげている。
このように、動物に関しては目をみはるような成果をあげてきているが、
我々自身の子供に関しては状況はむしろ悪くなっている。
こんにちの都市化した、機械化された、完璧に自然を失った社会において、
両親のあるべき姿(その機能)は失われつつある。
子どもは家族という構造の中にどっぷりつかって成長せねばならないものだが、
警鐘を鳴らされるべきパーセンテイジの子どもたちがそれなくして育っている。
家庭での躾というものがなされていない。人に必要な価値観というものが歪められている。
重要なものが無視され、つまらないものがもてはやされている。
思慮を欠いたくだらないものから精神の荒廃をもたらす最悪なものまで、
テレビから流れ出すものが、ものの考え方、価値観を左右し、何百万もの子どもの行動に影響を与えている。
我々は生れたての子馬に対して、我々を信じ、頼りにし、働きかけに応え、求めに応えるように数時間をかけて
教えることができる。子犬の場合、数週間をかけて躾をし、人との生活がしやすいように社会性を身に付けさせてやることができる。
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Cavaliaはほんとにすばらしいショーである。カナダのモントリオールから始まり、世界中で公演を行なっている。
トレーナーでありショーのスターであるフレデリック・ピニョン(Frederique Pignon)は雄馬に一切の馬具、ロープも
用いず自由自在にコントロールする。
観衆と演技するスペースを区切る仕切りもない。仕切というものは全くないのである。
馬は逃げ出したければどこへでも行ける状況である。
ナチュラルホースマンシップにより、ピニョンは雄馬に恐れを抱かせることなく、
完璧な信頼を得ているのである。
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同じことは我々の子どもにも言える。
良き刺激、学ぶ機会、愛情、共感、励まし、これらのもので子どもを包み込んでやれば、
バランスのとれた、思慮分別のある、人にやさしい、社会にとって有用な人として成長するのである。
むろんこういう育て方をしている両親もいる。残念なことに、礼儀知らずで、自分のことしか考えず、
内容のない、浅はかな、目的意識がなく常識を欠いた子どもにしてしまっている親たちもいる。
さらに悪いことに、現代社会において途方もなく多くの子どもたちは憎しみを教え込まれている。
その結果として、全てのひとびとは苦しみをこうむっているのである。
幼い頃に何を学んだか、その結果というものは途方もなく大きな影響をおよぼすものである。
幼い頃に何を学ぶかによって、よりすばらしい社会を築くこともできるし、
荒涼とした社会にしてしまうこともできる。
このことが、ホースマンシップにおける革命が我々にもたらす重大な教訓の1つである。
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