津別ホーストレッキング研究会
最初のクリニシャン
ケル・B・ジェフリー
2009/8
司馬
記
ドクター・ミラーTOP
The Revolution in Horsemanshipは
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The Revolution in Horsemanshipの目次は
[ここ]
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承知のとおり馬は大航海時代に西欧諸国が新大陸に侵攻する際に持ち込んだものであるが、1980年代も後半になり、新大陸アメリカから西欧諸国に『新しい調教方法』としてナチュラルホースマンシップが広まりはじめた。 アメリカでナチュラルホースマンシップの父といわれているのはトム・ドランスであり、トムの一番弟子というか(トムも著書の中で言っているように)、トムの名を世に知らしめたのはレイ・ハントのようである。
トム・ドランス(1910〜2003) 著書:True Unity (1987)
ビル・ドランス(1906〜1999) 著書:True Horsemanship Through Feel(1999)
レイ・ハント (1929〜2009) 著書:Think Harmony with Horses(1978)
トムやビルは第一世代と言えるだろう。レイ、モンティー(1935年生)は第二世代、パット(1954年生)以降は第三世代といえるだろうが、第一世代のトムやビル以前、20世紀に入って最初に公にデモンストレーションを行なったのはオーストラリア人、ケル・ビー・ジェフリー のようだ。今でこそ世界的な潮流となっているナチュラルホースマンシップであるが、第三世代になっても、彼らが世に問うた当初は素直に受け入れられたわけではない。
モンティーの評判を耳にしたエリザベスUは、1989年、モンティーを英国へ招いた。英国でのモンティーの経験は 『馬と話す男』に詳しい。映画『ホースウィスパラー』(日本での放映は1998年)の制作にあたりアドバイザーとなったのはバック・ブラナマン(1962年生)である。ここいらあたりについては、ドクター・ミラーの著書『ホースマンシップにおける革命 The Revolution in Horsemanship (2005年)』に詳しい。巻末に約80人のナチュラルホースマンシップの指導者(クリニシャン)の連絡先(TELとURL)、参考書籍のリストがある。
時は流れ、第四世代に移りつつあるようだ。その筆頭はオーストラリア人のクリントン・アンダーソン(1975年生)であろう。2003年からアメリカで「Road to the Horse」という新馬調教の世界大会が開かれるようになったが、クリントンが第1回第2回と連続して優勝したのである。この大会は第3回までが2歳馬であり、2006年の第4回からは3−4歳馬となり、さらに難しくなっている。第4回の優勝者は、ステイシー・ウエストフォールという、6歳以下の子ども3人の母親である小柄な女性である。ここいらあたりについてはドクター・ミラーの著書『Natural Horsemanship Explained(2007年)』に詳しい。
ケル B.ジェフリー Kell B. Jeffery (1878−1958)
ジェフリーがメルボルン大学の学生であったころ、健康を害し、田舎にある親戚の所有する牧場で静養することとなった。そこにはたくさんの馬とカウボーイたちがいたが、それまで彼は馬に乗ったことも関わったこともなかった。 カウボーイたちは何日間も牧場を留守にすることがあったが、いつも1頭の馬が取り残されていた。 彼はその美しい牝馬に興味を持ち、カウボーイのボスに聞いたところ、その牝馬は調教しきれなかった(騎乗できるまでにならなかった)ということだった。カウボーイたちが仕事に出かけた後、彼はその牝馬と信頼関係を築き、ロープ1本で騎乗してしまった。
ジェフリーが初めて公にデモンストレーションを行なったのは1914年、カウラ(Cowra)においてである。 1914年以来、35−40年間、東部各州でデモンストレーションを行なったが、 時代がまだ早かったようで、多くの人に受け入れらることはなかった。 現在、ジェフリーのやり方をそのまま用いる者は稀であるが、その要素はナチュラルホースマンシップの中に活かされている。 オーストラリア生まれのクリントン・アンダーソンは確固たるジェフリー支持者であり、自分が行なうクリニックでは、ジェフリーの名前を出している。
[ジェフリーよるデモ動画(1950年)]
The Kel Jeffrey Method of Horse Training
Horse Breaking - The Jeffery Way (aka 'The Jeffery Method')
モーリス ライト (Maurice Wright)
ライトがジェフリーのデモンストレーションを見たのは1953年が最初である。時は流れ、1973年、ジェフリーの業績が忘れ去られてしまうのを惜しんだライトが、ジェフリーの調教法に自分の考えを加えてまとめた『The Jeffery Method of Horse Handling』を出版した。