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牛、犬、狼、アンテロープ、ひひ、鶏、鯨、イルカ、ゴリラ、七面鳥、山羊、人間、そして馬、これら群れをなす動物は
その集団の中に階級構造を持つ。猫、熊といった種族は基本的に単独で行動するが、居住範囲を共有している
場合には階級構造を持つ。しかし集団で行動することが身の安全に大きな意味を持つ種族のように重要ではない。
例えば、狼や犬は集団で狩をする。なぜなら集団で狩をした方が獲物を捕らえる確率が増すからである。1頭で狩を
した場合は獲物を捕らえることはめったにできず飢えるからである。
大昔の人間にも同じことがいえる。彼らも集団で協力して狩りをしたり食料集めをするのが最も有利であった。
そういうわけで人間と犬はすぐに仲良くなるのである。犬にとって人間は同じ仲間であり、
人間にとっても犬は同じ仲間である。人間も犬も集団で狩りをするハンターである。
人間も犬も生まれながらに共通の属性を持っているのである。その属性のおかげで、きびしい環境下で生き残ってきたのである。
群れにおける階級序列は行動・動作によって確立される。最終的に、
ある馬の群れの中の1頭がリーダーとして存在し、さらにその下の多くの馬たちによる序列ができる。
アメリカのムスタングやオーストラリアのブランビーなど野生馬の世界では、リーダーはたいてい年をとった雌馬である。
雄馬は群れを所有してはいるが、その群れを支配しているのは年寄りの雌馬であり、しばしばよぼよぼという年齢である。
彼女は物理的には他のどの馬よりも弱いにもかかわらず、断固とした支配的な行動によってリーダーの地位を維持しているのである。
なぜ年よりの雌馬が群れを支配しているのだろうか?
被捕食動物(肉食動物に襲われる動物:prey species)の立場にたてばその理由は明らかである。
彼らの基本的な防御行動は走って逃げることであり、逃げおおせるためには、周囲を的確に把握できる能力・感覚、
周囲の異常・変化に対してすばやく反応すること、そして信頼のおける記憶力が必要とされる。
群れの中では年とった雌馬がもっとも経験のある存在なのである。
彼女は群れの中の彼女より若いどの馬よりも多くの出来事に遭遇し生き残ってきたのであり、
周囲で起こることを的確に判断してきたのである。
彼女は「どの時点で逃げるか」「どの方角へ逃げるか」「どこまで遠くに逃げるか」ということを知っているのである。
それ逃げろとなったとき、たとえ彼女が先頭を走っていないとしても、彼女が群れを導くのである。
そのとき雄馬は群れの最後尾に付き、群れから遅れ気味の馬を励ますのである。
このことは、あれは雌の仕事・これは雄の仕事ということ(gender)ではない。
群れを導くのは誰が相応しいかということを決めるのは、その個体の持つ芯の強さとリーダーとしての素質
と共に経験度(seniority)によるのである。
これが正しいことを証明する最良の例は人間に飼われている馬の群れ(domestic range herds)である。
そういう群れではときどき去勢馬がリーダーになっている。
実際、シェットランド・ポニーの去勢馬がリーダーになっている群れをいくつか見たことがある。
そういう群れにおいて、普通の大きさの馬たちは小さな去勢馬を殺すこともできるだろうが、
それら小さな去勢馬の持っている芯の強さに抗うことができないのである。
馬の群れでは身体の大きさによって支配権が決まるのではない。
もしそうであったなら、人間は自分が乗っている馬を支配することはできないことになる。
自然界では、年老いた雄馬が雄馬としての役割を果たすことはない。なぜなら、
雄馬はその全盛期を過ぎると若い雄馬にその地位を取って代わられるからである。
雌馬は普通は生涯子を生むことができる。雌馬には閉経期というものがない。
雌馬は年を取っても身体が衰弱するまで繁殖可能な雌馬の群れに居つづける。
身体が衰弱して群れについていけなくなれば、たいていは捕食動物に食われることになる。
この事実は群れにとって重要な経験なのである。
年寄りになるまで生き延びた雌馬というのは、幸運、分別する力、そして逃げるべきときは躊躇せず逃げる、
こういうことが上手くかみ合わさって、その年まで長生きしてきたのである。
ホースマンシップという観点から見たとき、これらのことには重要な意味がある。
つまり、どんな馬でも支配化におくことができるということである。
生来もっとも支配的な個体(1番の者、アルファ、リ−ダー)であっても支配され得るのである。
支配できるかできないか、それはその方法を知っているかいないか、ということである。
馬を支配するということは、鞭で叩いたりクサリを使うこと痛い目にあわせるということではない。
年よりの雌馬が、雄馬、若い雌馬、そして1歳馬を含む群れのリーダーになっているのだから、
リーダーたる条件は物理的な強さでないことは明らかである。
リーダーたる条件が物理的な強さなら、人間が馬社会のトップに立つことができようか?
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下半身麻痺にもかかわらず、720kgもあるフリージアン、Balkoに乗りホースマンシップにおけるリーダーシップとは何かを見せる若きドイツ人女性 Silka Valentin。
カートに乗って引き馬し、騎乗もする。彼女はナチュラルホースマンシップのパット・パレリに師事している。
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馬がどういう行動をするかということを理解するために
群れにおける階級構造を知るということは大切であるが、それだけではその重要性をほんとうに理解したことにはならない。
馬と関わる者はこの巨大で敏捷な動物を完璧に支配するには
リーダーとしての役割(危険を察知し群れを守る)を果たさねばならないという事実を十分理解しなければならない。
つまり馬が階級構造の中で人間を自分より上位の存在と見なしていなければならない。
馬が人間を上位に見れば見るほど、その馬はより従順になるということだ。
人間の言葉でいえば尊敬する、信頼する(respect)ということだ。
しかし、この役割を果たすために身体的苦痛を与えないこと、残酷なやり方をしないことは必須なことである。
馬は人間を尊敬・信頼するするのであって、恐れるがゆえにであってはならない。
尊敬・信頼によるものと恐れによるものとは違う。その違いをもたらすものは心的態度(attitude)である。
人間を尊敬・信頼する馬は人間に従うが、それは階級構造の中の自分の位置を知っているからである。
人間に恐れを抱いている馬は命令に従ったとしても、それは危害を加えられるのではないかという恐れ
によるものである。命令に従う動機(モティベーション)は自分が傷つくのを避けるためであって、
人間の求めるものを理解し、それに従うというものではない。
人間の場合でも、上位者を認め、理解し、それに従う(submit)生徒は扱いやすい。
危害を加えられるのではないかと怯えている生徒は、いかにして危害を避けるかということ以外に何も学ばない。
馬が命令に従っているように見えても、その動機、心的態度が、しかたなしに(ネガティブ)というものであり、心から
(ポジティブ)のものではない場合もある。我々は両親を尊敬できれば幸いだし、恐れる対象であってはならない。
我々は教師を尊敬すべきだが、恐れるようではならない。法律の実施者を尊敬されるべききだが、
我々が法律を守らせる立場になったなれば、ひとびとを怖がらせてはいけない。遺憾ながら、我々の多くは、
リーダーに備わるべき素質を持っていない。親、教師、法律の執行者たちの多くは彼らがなすべきことを行なう際、
尊敬を得るより恐れを抱かせてしまう。多くのホースマンにも同じことがいえる。
過去を振り返って見ても、大多数のホースマンは尊敬・信頼を得るというより恐れを抱かせている。
怒り、いらだち、欲求不満という感情による行動によって馬を恐れさせているのである。
感情を抑えることができず、怒りに身を任せ、馬にムリを押しつけるホースマンは尊敬・信頼を得られず、
ただ恐怖を抱かせるだけである。
1889年、イギリス陸軍軍医の Captain M. H. Hayes が馬およびホースマンシップに関してかつて書かれた多くの
本のなかでも最高の1冊 Illustrated Horse Training を書いている。
彼は真に良きホースマンたるに必要な特性は人間が本来持っているもののなかで
最高のものといえる特性、つまり、知性、忍耐力、機知に富んでいること、思いやり、老練さ、平常心を保つこと、胆力であると喝破している。
馬の尊敬・信頼を得るにはこれら賞賛すべき特性が求められるのである。
馬が人をリーダーでなく捕食者とみなすようにしむけること、馬に恐れを抱かせること、
そうさせるなら、こみ上げる怒りを抑えず、やさしく相手を理解するという態度の代わりに暴力と残虐性に頼るだけでいい。
ホースマンというのは何とも気高い要求に応えねばならないものなのである。
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