オーストラリアの野生馬 ブランビー
ミズィー(Mizzie)、彼女はABCラジオで紹介された2頭のブランビーの1頭です。
ミズィー、荒野へ還る・・・・か?
2001年、秋、ミズィーはビクトリア州の山岳地域で捕獲されました。その時、彼女は3−4歳、九死に一生を得たのです。誰かが彼女を殺そうと銃を発射したのです。しかし幸運にも弾丸は左目の上をかすめ耳に大きな穴を空けただけですみました。彼女と私は出会う運命だったのです。
ミズィーは鹿毛、体高13ハンドほどです。初めてミズィーに会ったのは、わなにはまって捕われ、ちょうど運ばれてきたところで、恐怖におののいた野生の目をしていました。彼女は、トラック、囲い、というものが分かっていませんでした。パニックにおちいり、めったやたらとフェンスにぶつかってケガしそうでした。ミズィーは、あきらかに、人を捕食者であると見なしていました。私が荒野で相手をしているブレンビーと違うところは、ミズィーには、人に近づくかあるいは遠くに逃げるかという、選択肢が与えられていないということです。ミズィー以前に、多くのブレンビーに接してきていますが、ミズィーとの最初の出会いの日のことは忘れることのできない日であり、このような日が再度訪れるとは思われません。
私の牧場に着いたとき、ミズィーと、ミズィーと一緒に連れてこられた馬は恐怖におののいていました。50mほど離れたところで発する、僅かな音や何かの動きに驚き、囲いのフェンスあっちこっちに体当りしていました。
それから6ヶ月間、私自身、私の妻、Manu、今はミズィーの良き友である、Dylan、Liz、Noirin が飼葉を与え、水を与え、他の馬たちの世話をしたり、こーゆー平穏な日常を経験する内に、ミズィーも落ち着いてきました。ミズィーが、そばに人がいること、小さな町から聞こえてくる奇妙な音、これらに慣れてくると、囲いの大きさを小さくし、それ以前と変らない日常の仕事を繰り返し、我々が彼女を傷つけるつもりはないことを教えていったのです。少しづつ、身体を洗ったり、ブラシをかけたり、身体を撫でたりしていきましたが、このような慣れてしまえば当たり前の人との接触を経験させるにあたっても、あまり緊張したり身を守ろうという姿勢を示したりさせないように、やさしく接していきました。
ミズィーは落ち着いてきましたが、それでも人に対して用心深く、人や他の馬に対してすぐに身構えるという姿勢は変っていませんでした。予想どおりですが、彼女を捕まえるには、ボディーランゲージ(人のそれと馬のそれ)を使って彼女とコミュニケーションし、パートナーシップを築くしかありません。若くして捕らえられたブランビーはボディーランゲージの良い先生なのです。音や動きに対してすごく敏感なので、正しくコミュニケーションしないと、それはダメとすぐに教えてくれます。もし、馬にとって攻撃的(Agressive)な姿勢や位置をとったり、指を大きく開きすぎたり、間違ったやり方で見つめたり、これらは”おだやかに話しかけている”ことにならず、彼女の反応はかんばしいものではなくなります。
ミズィーが「私が馬語を話す」ということが分かると、次の段階です。それは、馬の本能を利用して、パートナーシップを築くということです。まず、私とミズィーとで2人の群れを作ります。ミズィーは自ら私と一緒にいることを選び、そして初めて無口を掛けさせました。さらにもう少し慣らす作業をし、会話をし、ミズィーは綱につながれて、引かれて歩くようになりました。
さらに、群れの一員でいたいという本能を利用した丸馬場での作業をします。ミズィーはリラックスして、初めての鞍、ハミを受け入れ、さらにライダー(Liz)を乗せました。驚くこともありませんが、ミズィーは背中を丸めて跳ねましたが、じきにLizを受け入れ、その後ちょっとして、Lizはミズィーをステーブルの近くの道へちょっとした外乗に連れてでました。ミズィーとパートナーシップ築いてから8週間目、ミズィーはDylonと初めて街中まで出かけました。大きなトレーラーの横を通りすぎ、芝刈り機で芝を刈っている横を通り、犬が吼えかかるなか、そして見知らぬ人々がいるなか、これらにまったく動じずメインストリートを駈歩で走りました。その時以降、何度もDylonと街への散歩を楽しんだのでした。話を聞けば簡単なことのように聞こえますが、この間、ミズィーは常に、私たちの動きがはや過ぎないか遅すぎないか、私たちのボディーランゲージは正しいかどーか、教えてくれていたのです。
私たちの馬(セン馬)の中にRazという馬がいますが、ミズィーを溺愛し、いつも一緒にいます。今、ミズィーは他の馬たちと一緒に草地にいることが多く、定期的に馬運車に乗って牧場(そして丸馬場)に戻ってきます。つい最近、Manuが丸馬場で、ミズィーに障害を跳ばせてみましたが、ミズィーはけっこう楽しんでいたようです。ミズィーは、自信を持ってリラックスして乗れる人なら、心配することなく乗せられるようになっています。最近、12歳の少女、Amberがやってきました。彼女はミズィーとは初対面ですが、丸馬場でしばらくの間、ミズィーに乗っていました。ミズィーについて、私たちの最終目標は、彼女を荒野に戻し、本来の群れに留まるか、新しい群れ(私たちですが)に戻ってくるか、その選択をさせることです。
ブランビー、その種、時間とのレース
ブランビーがオーストラリアの山岳地帯、森林地帯、砂漠地帯に住みはじめてから100年以上が経ち、今ではオーストラリアの自由の精神を象徴するものになっています。ブランビーにまつわる話しがたくさんあるように、ブランビーと呼ばれるようになった経緯につてもいろいろあります。Cattle StationのBramba、ホースブリーダーのMajor Brumby、アボリジニ語のbooramby、ほんとうのところは誰にも分かりません。
ブランビーは、初期の移住者、とくに街から遠く離れた地域へ移住した人たちにとって欠くことのできない存在(絆)であり、
また、未開の荒野で子孫を残すことができた者のみが勝者であるという、現在も進行中の進化の過程を見せてくれる良い例でもあります。ブランビーは、1800年代後半、移住者たちが野に放った、あるいは逃げ出した馬たちの子孫です。彼らは、イギリスのサラブレッド、スペインの中間種、アラブ、ティモール&ウェルシュ・マウンテンポニー(後に、入植地NSWに因んでウェーラーと呼ばれる)などで、自然淘汰と自然交配によって、その頑健さで知られる、オーストラリアン・ストック・ホースとなりました。私たちは、頑丈な肢を持ち、繁殖力に優れ、オーストラリアの厳しく極端な気候風土の中で生き残るという生命力ある動物、ブランビーを手にしているのです。
現在、オーストラリアの荒野を、入植者が入る前の状態に戻そうという動きがありますが、ブランビーの存在が大きな障害になっています。なんらかの方策を持って、オーストラリア本来の動植物を保護しようという考えは的を得たものですが、オーストラリアという国全体を視野に入れ、木目細かく配慮されないならば、私たちの野生馬、ブランビーは消滅してしまうかもしれません。
今のところ、ブランビーによる被害の調査は限られたものです。近い将来、ブランビーが環境に及ぼす影響について調査が始まるでしょう。しかし、調査結果を正確に正しく分析・評価するには時間がかかるでしょう。オーストラリアの野生馬は他のどの国よりも多いということを考えれば、誰の目にも、ブランビーの数をかなり減らすということが解決の道であると思えるかもしれません。ブランビーの数は、社会的に容認され、道義的かつ費用&効果が妥当と思える範囲で、コントロールされるべきです。そーなると、その方法は、捕獲し他の地域へ移す、出産の制限、囲い込み、間引き、というように限られたものになります。
1ヶ所に集めたり、わなを仕掛けたり、ということは馬にも環境にも有害でありストレスとなるものです。
(広大な地域を)フェンスで囲うというのは費用が大きく実際的ではありません。殺すというのも実際にできる解決方法ではありません。卵子を受精させなくする、PZPと呼ばれる避妊方法があります。この方法が、費用的に環境的に最も良いようです。オーストラリア以外の国々で、96の違った種(動物)について、その効果が実証されていますが、オーストラリアでは、最近になって、その実効性につて調査が始まったばかりですので、残念ながら、今すぐ、オーストラリアで、この方法を用いることはできません。
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